花魁道中いろは唄~外伝~ 九の葉舞々散々 ♂×3 ♀×5 / 白鷹

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所要時間:130分程度
利用規約をお読みいただきご利用下さい。

2019/3/2 利用規約を改訂しました。必ず読んでから上演をお願いいたします。

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◆登場人物◆

 

百合  (ゆり)  20歳 (♀)

    現時点での華屋のお職。大変な美女で客からの支持が高い。
    優しく責任感の強い女性で、過去姐女郎であった牡丹花魁、椿花魁を尊敬しており
    常に自分と比較しては切磋琢磨する。女将とは特別な関係であり仲がいい。
    口調は花魁時と私用時で相当違う。

 


蓮太郎 (れんたろう) 26歳 (♂)

    華屋の若衆として働く青年。華屋で産まれた事により誰よりも華屋の事情に通じている。
    前お職であった椿花魁を心より愛しており遺言を遂行する為に生きる。
    自他共に厳しい性格で冷徹・冷酷を装っているが感情を失くした訳ではない。
    百合花魁が懐いて来るのは妹的に可愛がっている節がある。


 

女将 (おかみ)  37歳 (♀)

    華屋の楼主兼女将。見世の経営を遣り手任せにはせず自らもせわしなく働く。
    自分の見世の女郎たちをとても可愛がっており、何か女郎が失敗した時なども身体に傷を付けない為に
    折檻はせず、仕置き部屋に閉じ込める程度で済ませるなど、大切にしている。
    百合の扱いについては別格


 

伊集院和仁 (いじゅういんかずひと)  27歳 (♂)

    百合の幼馴染。若山遊郭のある尾張一帯を牛耳る札差で大変な金持ち
    百合を幼い頃から愛し続けた青年。優しく真面目。口調は優しめ。


 

正臣  (まさおみ)  18歳 (♂)

    最近になって華屋で勤める事になった若衆。蓮太郎を尊敬しており彼の言う事は絶対。
    百合花魁に想いを寄せる物の、同じ見世の若衆と女郎が通じる事はご法度と知っている為耐える。
    真面目で若さの為か感情を抑えられない事もある。


 

紫陽花 (あじさい)  23歳 (♀)

    華屋集合部屋の女郎。花魁との扱いの格差に常に不満を持っており反抗的
    ただし、反抗はするが自身を磨く事はしない為、だらだらとした女郎生活を送っている。口調は投遣り


 

杏   (あんず)  20歳 (♀)

    紫陽花と同じく集合部屋の女郎。ほぼ紫陽花と同じだが自身の美貌は気にしている
    反抗的というよりは自分の欲求は我慢しない性格。口調は淫乱且つだらけた感じ


 

紫苑  (しおん)  13歳 (♀)

    百合の禿。これでもかという程の我儘な娘。常に反抗的で誰の言う事も聞かない。
    女郎になる気は全くないので躾や稽古に身が入らない。
    自分の美貌はよく知っているのでそれを武器に人を脅迫するなど手が付けられない程の少女。


その他脇役(兼ね役推奨)
男衆 (♂) 華屋で働く男
亭主 (♂) 遊郭内にある甘味処の亭主
楼主 (♂) 切見世を統括する楼主。忘八

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役表

百合     (♀)・・・
蓮太郎+亭主  (♂)・・・
女将     (♀)・・・
紫苑     (♀)・・・
和仁+男衆   (♂)・・・
正臣+楼主   (♂)・・・
紫陽花    (♀)・・・
杏      (♀)・・・

――――――――――――――――――――――――
 

紫陽花 「でよぅ、そいつ、てめぇのイチモツ自慢ばっかしやがって」
杏   「昼夜と男の精抜いてるあたしらがそんなもん見たって嬉しかねーよってな」
紫陽花 「やったら長いしよ」
杏   「長いのは勘弁だよな。擦り切れて煙出ちまうよ」
紫陽花 「麩海苔は乾くしよ。穴が広がるっての!」
杏   「紫陽花なんかもうガバガバだろ?」
紫陽花 「あーん? なんだって? 杏。あんたなんか紐の切れた巾着だろうが」
杏   「うっせぇよ、紫陽花に突っ込むくらいなら木の洞にでも突っ込んだ方がマシってな!」
蓮太郎 「いくら仕事が終わったばかりとはいえ余り下品な会話は控えて下さい。紫陽花さん、杏さん
    ここは玄関ですよ」
紫陽花 「蓮太郎、ねぇあんた一度あたしと寝てみなよ」
蓮太郎 「・・・、聞いてますか? お断りします」
杏   「掠れてカラッカラの紫陽花には用がないんだよ、ねぇ、蓮太郎さん
    あたしは蓮太郎さんが相手なら、麩海苔なんていらないよ」
蓮太郎 「さっさと寝ないと、寝過ごしたら朝餉はありませんよ」
紫陽花 「今日のおかず、なんだい?」
蓮太郎 「油揚げと菜っ葉の汁です」
杏   「相変わらずシケてるね」
百合  「う~・・・、寒い、眠い」
蓮太郎 「あぁ、百合花魁お帰りなさい。大門までのお見送りご苦労様でした」
百合  「蓮太郎、ありがとう」
蓮太郎 「随分、時間が掛かりましたね」
百合  「茶屋で粥を一緒に食べて来た。名残を惜しんでくれるのは有難いけど早く帰れっての、全く」
蓮太郎 「そうも言っていられないでしょう、熱心に通って戴いています」
百合  「昨夜は座敷で祝儀も弾んで戴いたからそろそろ大門までかなと思って
      そうしたらもう少し話したいってごねられちゃって」
蓮太郎 「大変でしたね、早くお休みになって下さい。午三つ時、お部屋に暖かい食事をお持ちします」
百合  「うん、ありがとう」
蓮太郎 「今日はアジの開きとはまぐりと大根の汁に豆腐、野菜と油揚げのお浸しにゆで卵です
      干し柿を付けておきますね」
百合  「うわん、楽しみ」
蓮太郎 「ご飯は?」
百合  「大盛りで!」
蓮太郎 「かしこまりました」
紫陽花 「全く、やってらんないよね。あたしらは集合食堂でせいぜい油揚げと菜っ葉の汁だけだってのに!」
百合  「紫陽花」
杏   「アジの開きとはまぐりだってさ! 『うわん、楽しみ~』馬鹿じゃないの?」
百合  「・・・っ」
杏   「媚売ってんじゃないっての、気持ち悪い」
蓮太郎 「紫陽花さん、杏さん
    良ければお二人の食事も百合花魁と同じにして集合食堂にお持ちしましょうか?」
紫陽花 「え? え? ほんとに?!」
蓮太郎 「はい」
杏   「うっそ」
蓮太郎 「2匁で」
紫陽花 「は?!」
杏   「金取るのかい!」
蓮太郎 「当然でしょう? ただで飯は食えませんよ
紫陽花 「ゆ、百合は払ってんのかい」
蓮太郎 「はい、月に1度まとめてですが」
杏   「2匁を2回・・・、で、ええと・・・」
蓮太郎 「2両です」
紫陽花 「んな・・・」
蓮太郎 「良ければお運びしますが、どうされますか?」
紫陽花 「馬鹿言ってんじゃないよ! そんなの払える訳がないだろう?!」
女将  「そんじゃあ25文の飯で我慢しな!」
杏   「女将、さん」
女将  「杏、あんた今月の払いが足りないよ。簪でも着物でも売って金作ってきな!」
紫陽花 「ちょ、女将さん! 杏だって頑張ってるじゃないのさ」
女将  「頑張ってる? 甘ったれた事抜かしてんじゃないよ
    そんな寝言は金払ってからいいな! 蓮太郎! 杏は飯抜きだ!」
蓮太郎 「え?」
杏   「そんな」
紫陽花 「張り見世もないのに今更どうやって客引きしろってんだよ、この鬼ババ!」
女将  「・・・蓮太郎、紫陽花も飯抜きだ」
蓮太郎 「女将、借金の取り立て日で気が立っているのは判りますが
    それでは何の解決も出来ませんよ」
杏   「そうだよ! 客を取れって言うなら張見世くらい作れってんだ!」
女将  「ほーぉ? 張見世作ったらお前の残念なご面相で客とれるって言うのかい?」
蓮太郎 「ふぅ・・・、借金は増えますがまずは揚屋の似顔絵を描き直して貰うのが一番手っ取り早いでしょう
    絵師に払う代金に少し色を付ければ美人に書いて貰えますよ」
女将  「鈍いんだよ。そんな事も教えて貰わなけりゃ判らない。怠慢の証だろうが」
紫陽花 「元から・・・、揚代の少ないあたしらに更に借金させようなんざひでぇ話だよ」
蓮太郎 「集合部屋とはいえ華屋で働ける事に誇りを持って下さい」

 

百合  「紫苑、もう一度やり直しじゃ。最初から」
紫苑  「さっきもやり直したじゃない! もうこれで14回目!
    間違えたら間違えた所からやり直せば良いでしょう?!」
百合  「最初からやり直さねば上達せん。さ、やり直しや」
紫苑  「百合姐さんはあたしの事が嫌いなんでしょ?
    だから嫌がらせの様に毎日毎日同じ曲ばかり弾かせて!」
百合  「はぁ・・・、嫌いなら元より妹になどせん。おんしはもうすぐ新造出しも近い
    三味ひとつロクに引けなんだでは座敷にも呼べん。心して弾きや」
紫苑  「三味なんて内芸に弾かせればいいじゃない! 姐さんだって座敷の時は座って見てるだけでしょう?!」
百合  「紫苑、廓言葉をどうしんした」
紫苑  「あたしは言葉もまともに喋れない田舎娘じゃない!
    廓言葉なんて訛りのある奴が郷の出を隠す為でしょ?
    あたしは江戸の町で育った誇りがある! 廓の言葉なんて使わない!」
百合  「勘違いしておりんすな、ここは江戸ではありんせん。娑婆とも違いんす
    幕府公認若山遊郭、大見世華屋じゃ。誇りなら華屋の妓として誇りを持ちや」
紫苑  「女郎に誇りなんてあるもんか!」
百合  「紫苑!」
紫苑  「毎晩、姐さんが客と何やってるか知ってるよ?
    あたしはそんな風になる前にこっから出てってやるんだ!」
百合  「ここから出る事は叶いんせん、諦めや」
紫苑  「諦めるもんか! きっと、すぐにでもお父さんとお母さんが親元で落籍せてくれるって信じてる!
    お父さんだってお母さんだって後悔してるに違いないんだから!」
百合  「今まで、ここで飯を食って布団で寝て生きて来られた恩を仇で返しんすか!」
紫苑  「年季十年! 刃傷・病気・心中! ここから生きて出られる保証なんてどこにもない!
    命を掛ける程の恩を貰った覚えなんてない!」
百合  「紫苑! どこに行くんでありんすか! 戻りや! 紫苑!!」

 

女将  「廊下まで聞こえているよ、百合」
百合  「お母さん」
女将  「ちょっと邪魔するよ。よっこらせ、苦労している様だね」
百合  「ごめんなさい・・・、煎茶でいい?」
女将  「貰おうかね」
百合  「お母さんの大好きな栗羊羹もあるよ?」
女将  「いいねぇ」
百合  「紫苑の事は本当にごめんなさい。もう少し時間を貰えたら必ず新造出し出来るようにする」
女将  「あんたも沢山の妹を抱えてるって言うのに、無理を言って済まないね
    あの気性で他の花魁は皆根を上げて断られちまってね、あんたしか頼めなかったんだよ」
百合  「大丈夫。妹が増えるのは賑やかで楽しいもん
    だけど、紫苑のあの考え方では苦界なんて生き抜いては行けないよ」
女将  「芸事だけなら他にも秀でた女も沢山いるけど、お職筋にするってんなら粗末なもんさ」
百合  「紫苑の、あの気性は美貌のせいもあるのかな」
女将  「あれできちんと腰を据えて真面目に芸事をこなして
    花魁の気概を持てばお職を張れるというのに、勿体ない事をする」
百合  「女郎にとって憧れの頂点でも、娑婆のおなごには侮蔑対象だから」
女将  「娑婆の女?」
百合  「いつか、親元落籍でここを出られると信じているから、お職は到底務まらない」
女将  「そんな事言ってたのかい」
百合  「お母さんはお職筋なら待遇よしとしてあたしの禿に薦めたんだよね?」
女将  「待遇が良けりゃあ大人しくなると思ったんだがねぇ、困ったもんだよ」
百合  「お・か・あ・さ・ん」
女将  「な、なんだい、いきなりそんな詰め寄って」
百合  「お母さんの事だから紫苑の出自、調べているよね?」
女将  「シッ! 百合! コラ!」
百合  「本来、見世がイチ女郎の出自なんて調べたりしないけど、お母さんは物好きだもんね?」
女将  「はぁーー・・・、かなわないね。あんたのその目端の利く事と言ったら」
百合  「紫苑の両親は親元落籍が出来る程の財産を持ってるの?」
女将  「ある訳ないさね。酒と女好きのろくでなし親父に近所の情けでなんとか食ってる髪結いの母親
    長屋の家賃を払うだけで手一杯さ。身請けだなんてとんでもない!」
百合  「想像より絶望的だった。もう少しマシなら伝えて諦めさせようと思ったのに
    それじゃ信じないどころか逆上して何しでかすか判らないね」
女将  「やれやれ、あれじゃ新造出しの費用を持ってくれる客もいない」
百合  「あたしが持つ分には構わないけど、新造出しが出来るかどうか
    ところでお母さん、何か用事があったんじゃないの?」
女将  「あ、あぁ、今日の客だがね。伊集院和仁という札差なんだ」
百合  「札差。それはないがしろには出来ないね」
女将  「尾張清州の武家を客に持つうなぎのぼりの札差さ」
百合  「すごい三蔵の!? どんくらい引き出せるかな? 初会で千両?!」
女将  「百合。そうじゃなくて、訳ありなんだ」
百合  「訳ありだろうがなんだろうがお客様でしょ?」
女将  「『あや』と、お前の本名を知っていた」
百合  「?!」
女将  「断った方がいいならそうするよ」
百合  「・・・あちきは華屋お職の百合でありんす。『あや』なんぞという女はおらん」
女将  「あたしはね百合、あんたが女郎になった事を今でも悔やんでいるよ
    あたしの後を継いで華屋の女将、ひいてはこの若山の総名主として生きて欲しかった」
百合  「あたしの美貌で女将って勿体ないと思わない?」
女将  「自分で言うかい? それ」
百合  「お母さんの言う事はきっと有難い事なんだよ?
    けどね、あたしは牡丹姐さんや椿姐さんの様な華やかな座敷に憧れてたの
    女将じゃ道中なんて出来ないじゃない」
女将  「そりゃ道中は張れないよ。けど華やかなばかりじゃないだろ」
百合  「あたしの母だってお世話になってるんだから
    恩返ししないままじゃ極楽に行けないじゃない」
女将  「あたしゃ千津の世話なんざしちゃいないよ。あの子が勝手にあたしに懐いてただけさね」
百合  「そんな事言って。死に水を取らせてくれたんでしょ? 感謝してるの」
女将  「あたしのこたいいんだよ。そんじゃ、伊集院様は揚屋でお迎えだね」
百合  「うん。女将さん、お願い致しんす」

 

杏   「なんかホント腹立つんだけど」
紫陽花 「どうしたのさ、さっさと支度しないと女将ぶっ飛ばされるよ?」
杏   「花魁は支度も大変だから湯を使うのあたしらよりちょっと早いじゃないか」
紫陽花 「そうだね」
杏   「残り湯使おうと思ってさ」
紫陽花 「あんた! まさか花魁用の風呂使おうとしたんじゃないだろうね?!」
杏   「いいじゃないか! ちょっと使うくらい! 紫陽花だって言ってたろ?」
紫陽花 「そりゃどんな風呂なのか気になるとは言ったけどさ、入ろうとはしてないよ」
杏   「どうせ使い終わった風呂だろ? そんくらい、いいじゃないか
    なのに正臣に止められてさ」
紫陽花 「正臣か、あいつ新入りの癖に不寝番とか生意気なんだよね」
杏   「あたしらが働いてるから食ってる奴が偉そうに『そこは花魁用です、ご遠慮ください』だって」
紫陽花 「腕が立つから蓮太郎に気に入られてるだろ? 偉そうな態度がムカつくんだよ」
正臣  「杏さんが無理に花魁用の風呂を使おうとするからですよ?
    俺は別に偉そうになんかしていません」
杏   「正臣」
正臣  「掃除するので入りますよ」
紫陽花 「正臣だって花魁の高飛車な態度には腹が立つだろ?」
正臣  「仕方ないじゃないですか。稼ぎ頭の花魁達をないがしろには出来ません」
杏   「はーん、仕方ないって言ったね。正臣」
正臣  「集合部屋のあなた方が花魁専用の風呂を使ったなんて事になったら
    花魁達に俺達が怠慢と怒られます」
紫陽花 「やってられないと思わないかい? 正臣」
正臣  「なにが」
杏   「女にこき使われてるの、だよ」
正臣  「仕事です」
紫陽花 「ちょっとしっぺ返ししたくない?」
正臣  「何言ってるんですか!」
杏   「ちょ、まずい紫陽花! 蓮太郎が来る」
紫陽花 「んっ、ねぇ正臣・・・」
正臣   「なななななななっ、なんで帯を解くんですか!」
杏    「あ、はん・・・、そういうことね。ねぇ、あんたの『ソレ』見せとくれよ」
蓮太郎 「正臣、何やってるんだ?」
正臣  「判りませんよ! 二人がいきなり!」
蓮太郎 「・・・、同じ見世の者同士の恋愛はご法度だ」
正臣  「知ってますよ! 蓮太郎さん、助けて下さい!」
蓮太郎 「・・・、まぁ、うん。頑張れ」
正臣  「何をですかー!! ちょ、蓮太郎さん!! どこ行くんですか! 助けてぇ!」
紫陽花 「杏、蓮太郎行った?」
杏   「うん、台所に入って行った」
正臣  「何、を?」
紫陽花 「ちょっと腹いせでもしないとあたしらだってやってらんないんだよ」
杏   「ね~ぇ、正臣協力しなよ。悪いようにはしないからさ」
正臣  「腹いせって、協力しませんよそんな事!」
紫陽花 「百合とかさ、ちょっとさすがに鼻につくからね」
正臣  「・・・っ! 百合花魁に何かしたら俺が許しませんから」
杏   「へ~ぇ」
紫陽花 「ふぅん、あんた百合花魁に惚れてるって訳かい」
杏   「ご法度なのに可哀想」
紫陽花 「やっちゃえば? あんたもココ、持て余してんだろ?」
正臣  「そうやって、俺を唆して百合花魁に傷を付ける魂胆ですか?
    俺は手出しなんてしません、絶対に! あの人は俺が守ります」
杏   「馬鹿だね、本気にしてら」
紫陽花 「俺が守ります、だって。かっこいいねぇ。さっさと出て行きな!」
蓮太郎 「・・・、紫陽花と杏、ね」(隠れて立ち聞きしてました)

 

百合  「全く、道中の支度も手伝わんと、紫苑はどこに行ったのやら
    若衆に探して貰ってあっちは表に出て待ちんしょ
    ・・・っ?! んっ、う! 何これ・・・? ぅっ、酷い・・・、臭(にお)い」
蓮太郎 「百合花魁、そろそろ・・・っ?! なっ?! 廊下が」
百合  「蓮太郎」
蓮太郎 「汚物が廊下中に撒かれてる・・・、臭い(くさ)・・・」
百合  「誰の仕業か知らんけんど、源氏物語の桐壷の更衣の気持ちが判りんす」
蓮太郎 「悠長な事を」
女将  「百合、紫苑は見付かったのかい? ・・・っ?! な、なんだいこれは!っゲホ、臭(くさ)い」
蓮太郎 「誰かが故意に厠から汚物を汲み上げてここに撒き散らしたとしか」
百合  「いずれにしても仕掛けも足も汚れてしまいんす」
女将  「蓮太郎! 布団部屋から古い布団を5、6枚持っといで!
    敷き詰めて取り敢えず百合を外に出しな」
蓮太郎 「はい」
女将  「誰がやったかは後だ。ここは片付けておくから客を待たせるんじゃないよ
    紫苑もいないなら連れて行かなくていい。他の新造と禿を付ける」
蓮太郎 「女将、持って来ました。少し離れてて下さい、百合花魁、女将」
男衆  「まだ使える布団なのに勿体ねぇ」
女将  「グズグズするんじゃないよ! さっさとしな」
蓮太郎 「正臣はそっちから敷いて行け」
正臣  「はい」
蓮太郎 「百合花魁、仕掛けの裾をたくし上げて布団の継ぎ目に引っかからない様に気を付けて下さい」
百合  「申し訳ありんせん、行かせて戴きんす」

 

蓮太郎 「女将、失礼します」
女将  「あぁ、蓮太郎ご苦労だったね。他の若衆は」
蓮太郎 「片付けた後、湯を使って持ち場に着きました」
女将  「百合は揚屋にちゃんと到着したかね?」
蓮太郎 「揚屋には百合花魁到着の旨、確認済みです」
女将  「そうかい、ありがとう」
蓮太郎 「・・・、女将」
女将  「なんだい」
蓮太郎 「お伝えしたい事があります」
女将  「大事な事みたいだね。入っておいで」
蓮太郎 「失礼します」
女将  「で、なんだい」
蓮太郎 「百合花魁の件、今回だけではありません」
女将  「今回だけじゃない、ってどういう事だい」
蓮太郎 「前々から規模の大小こそあれど、嫌がらせは継続して行われているようです」
女将  「なんだって? 百合はそんな事一言もあたしに言わなかったよ」
蓮太郎 「俺も口止めされていました。女将に心配を掛けたくないという百合花魁の配慮です」
女将  「・・・、あの子は、全く」
蓮太郎 「俺が最初に気付いたのは質屋に百合花魁が気に入っていた簪一式が並んでいた時です
    象牙の高価なものでまだ質に出すのは早いと思っていたので聞いてみた所
    百合花魁も知らない内に無くなっていたと聞きました」
女将  「百合がいない間に盗まれた、という事かい」
蓮太郎 「それも、よくあるそうですが、本人は気にしていないとの事です」
女将  「気にしてないって、全くあの子は」
蓮太郎 「細かい事で言うなら、襦袢に針が仕込まれていた事もあったそうです」
女将  「針?!」
蓮太郎 「はい。襟の部分で着付け師が気付いたそうで大事には至りませんでした」
女将  「他には?」
蓮太郎 「布団が水浸しになっていたり、鼠が入っていたり、ですね」
女将  「一体誰がそんな事」
蓮太郎 「目星は付いていますが、まだ確証がないので言えません」
女将  「蓮太郎、証拠を掴んだら教えな」
蓮太郎 「はい」

 

百合(M) 「伊集院和仁、あたしの本名を知っていたとお母さんは言うけれどやはり覚えはなかった」

和仁  「やっと見付けた。随分と探したよ、あや」
百合  「・・・」
和仁  「・・・くすっ、遊郭の三度のしきたりは知っている。初会も裏も君と話す事は出来ないだろう?
    それなら私は独り言でも言おうか」
百合  「・・・」
和仁  「君はきれいになったと思う。覚えていないだろうね、君はあの時まだ三つだった」
百合  「・・・」
和仁  「私は十だったからよく覚えているよ。君がいなくなって悔しくて辛くて君を連れて行った奴を探した
    そうしたら女衒だという。初めは女衒が何かすらも判らなくてね、調べて行く内に判ったんだ
    遊廓なら吉原だ、と、何年掛かったって江戸の吉原から大阪新町、京に上って島原も調べる積もりだったけれど
    思っていたより早く見付かった」
百合  「・・・」
和仁  「左手で煙管を持っている。幼い頃から何もかも左だったね
    きれいになり過ぎていて確信がなかったけど、今日君と会えた事は無駄じゃなかった
    君は私が幼い頃から探し続けたあやだ」

百合(M) 「しきたりで、何一つ言葉に出す事は出来なかったけれど伊集院和仁の真摯な想いと眼差しは
    心を強く揺さぶった」

 

紫苑  「あたしイワシ嫌いなんだよね」
百合  「紫苑」
紫苑  「下魚じゃない。臭いし食べられたものじゃない」
百合  「好き嫌いを言うんじゃありんせん。料理番はあっちらの食事を用意するんにきちっと考えて用意しておりんす」
紫苑  「嫌いな物は嫌い! 食べたくない!」
百合  「そんなら集合部屋の飯で我慢しなんし!」
紫苑  「嫌」
百合  「おんし、いつまでそんな我儘を通す積もりでありんすか」
紫苑  「蓮太郎! あたし柚子って嫌いなのよね! 桃と枇杷が食べたい! 買ってきて!」
蓮太郎 「申し訳ありません。今の時期、桃も枇杷も時期ではないので無理です」
紫苑  「はぁ? じゃあ探して買って来てよ」
百合  「紫苑! いい加減にしなんし!」
紫苑  「それにイワシも嫌い! 他の魚にして。じゃなきゃ食べない!」
百合  「蓮太郎、聞く必要はありんせん」
紫苑  「姐さんも蓮太郎もさ、もう少しあたしの事大事にした方がいいんじゃないの?」
百合  「何を言っておりなんすか!」
紫苑  「ねぇ、この間ちょこっと聞いたんだけど、この見世の頂点に立てそうな女が今居ないんだって?」
百合  「・・・っ?!」
紫苑  「じゃあさ、あたしの事大事にしないとまずいんじゃないの?」
百合  「・・・」
紫苑  「ねぇ、どうなの?」
百合  「おんしがそんな事心配する必要なんありんせん」
紫苑  「強がりだねー、困ってる癖に」
百合  「いい加減にしなんせ」
紫苑  「あーっそ! ふふ、じゃあさ、蓮太郎はどうなの?」
蓮太郎 「時期外れなので、味のいい物があるとは思えませんが探してきます」
百合  「蓮太郎!」
紫苑  「やっぱり蓮太郎はよく判ってるね、ふふ」
百合  「蓮太郎、やめなんし! いかんでもよろしんす!」
蓮太郎 「百合花魁、紫苑さんの言っている事は間違いありません」
百合  「蓮太郎!」
蓮太郎 「今現在百合花魁についている妹方を侮辱する訳ではありませんが、お職筋として排出できる花魁ではありません
    それは本人達もよく判っているでしょう。少しでも切磋琢磨する精神は立派だと思います」
百合  「けど」
蓮太郎 「花魁としては間違いなく成功するでしょう。ですがお職の筋ではない」
百合  「判っておりんす。けんど、そんな風に認めたらもっと手が付けられなくなりんす」
蓮太郎 「・・・。今、手に余ってないと?」
百合  「蓮太郎のそういうとこ嫌いだわ」
蓮太郎 「ご安心下さい。俺も百合花魁の意味不明な強情さは嫌いです」
紫苑  「ていうか、早く買って来てよ。それとイワシ下げて」
蓮太郎 「判りました。後程別の者におかずを運ばせます」
紫苑  「ありがと」
百合  「紫苑、こういう事はこれきりにしなんせ」
紫苑  「そんな事指図される理由なんてないもん」
百合  「・・・っ」

 

百合  「いくら幼馴染で見知った顔だとはいえ、江戸から京まで人一人を探すなん伊集院様も物好きでありんすな」
和仁  「それだけ好きで忘れられなかったんだから仕方ない」
百合  「ほんに物好きでありんす。昔がどうであれ今はこの華屋のお職にございんす」
和仁  「幼い頃から美人だとは思っていたけどまさか傾城の名を手にするとは思わなかったよ」
百合  「大袈裟でありんす。お職と言えどただの女郎、金子次第で誰にでも足を開くあばずれじゃ」
和仁  「あばずれなんて言わないでくれないか」
百合  「あやは死にんした」
和仁  「・・・っ」
百合  「伊集院様が心に想うあやは幼い頃に死にんした。そう思うんが一番幸せでございんす」
和仁  「あや、私は君を落籍せたいと思っている」
百合  「お気持ちだけお受け取りいたしんす。わっちは伊集院様に相応しいおなごではございんせん」
和仁  「相応しいかどうか決めるのは君じゃない!」
百合  「伊集院様でもありんせん!」
和仁  「・・・っ!」
百合  「わっちでも主様でもありんせん。伊集院様の周りにおわすお方々にございんす」
和仁  「きっと美しい嫁を貰った、と」
百合  「わっちは女郎下りのおなごを嫁に貰ったなどと後ろ指を指される伊集院様を見たくありんせん」
和仁  「それは、少しでも私を想ってくれていると受け取ってもいいのか?」
百合  「え?」
和仁  「私の立場を考えて身を引こうと考えていなければそんな言葉出て来ないだろう」
百合  「女郎の言葉を真に受けちゃあなりんせん」
和仁  「じゃあ、どうして目を逸らす?」
百合  「・・・、褥に参りんしょう?」
和仁  「あや、私の目を見て本心を教えてくれ。君を落籍させるまで抱く積もりはない」
百合  「・・・ふぅ、伊集院様には参りんした」
和仁  「名前を、呼んでくれないか?」
百合  「? い、伊集院様」
和仁  「家の名でなく、私の名を」
百合  「和・・・、仁、様」
和仁  「この苦界から君の借金を全て払い救い出したいと思うのは私の驕りなのか?」
百合  「頑固者」
和仁  「君を取り戻したいんだ」
百合  「待てんすか?」
和仁  「え?」
百合  「和仁様、わっちには借金などありんせん」
和仁  「借金がない? ならなぜこんな所で」
百合  「こんな所だなどと仰らんでくんなまし」
和仁  「けど」
百合  「あちきの身に掛かるは借金に非ず、人の恩にございんす」
和仁  「恩?」
百合  「あい。金子などでは図れぬ価値のあるもの。その恩に仇成せば罰が当たりんす
    恩を返す為にあっちはここにおりんす」
和仁  「ならば無理は通すまい」
百合  「人に恩を返し年季が明けるまで待つ気概が和仁様にあるのなら、落籍せてくんなまし」
和仁  「待とう」
百合  「え?」
和仁  「君は私に無理難題を吹っかけた積もりだろう? あや」
百合  「?!」
和仁  「そうして身請けを諦めさせる。けどね、あや。私はそんな生半可な覚悟でここに登楼って来た訳じゃない
    金で解決できぬ人の恩なれば、その恩を返すまで君を待つよ」
百合  「あっちの年季が、あと何年残っていると思っておりなんすか?!」
和仁  「君が待てと言うのなら五年でも十年でも」
百合  「どうせ、待てやせん」
和仁  「君を探して何年経ったと思っている? 十七年、それに比べれば大したことないよ」
百合  「奇特な方にございんす」
和仁  「好きに言えばいい。あや、だから恩を返したと感じた時、辛いと思った時、君の帰る場所を作って待ってる
    君の帰る場所は私の所だと思っていてくれないか」
百合  「ああ、もう・・・っ」
和仁  「どうかした?」
百合  「恥ずかしいの!」
和仁  「くすっ、廓言葉は?」
百合  「・・・っ! 忘れておりんしたでありんすでございんす!」
和仁  「色々おかしいね」
百合  「そう言えば! 和仁さん、あたしの得意な物って何か知ってる?」
和仁  「んん・・・、突然の難題だ」
百合  「夜は長いからね、たーっぷり考える時間はあるよ」
和仁  「三味、はありきたり、華道茶道も、か。んー、囲碁とか将棋、かな?」
百合  「囲碁や将棋は椿姐さんが得意だったの、あたしは椿姐さんには一度も勝てなかった」
和仁  「難しいな」
百合  「珠算!」
和仁  「珠算? またなんで」
百合  「本当はお母さんが女郎にする気が無くて教え込んだらしいよ? 余り覚えてないんだけど
    でもね、そのせいでお金が一文でも合わないと気持ちが悪いって言うか」
和仁  「あぁ、判るかも、その気持ち」
百合  「判ってくれる? お母さんは一文くらいでガタガタいうなって言うんだけど、そうじゃないの」
和仁  「そう、その一文が欲しいのでなくて合わない計算に腹が立つ」
百合  「そうそれ!」
和仁  「細かい出入りがきちんと片付くと気持ちいいもんな」
百合  「うん! そうなんだ」
和仁  「札差の女房にピッタリじゃないか」
百合  「・・・、あぅ」
和仁  「今度、競争してみよう」
百合  「楽しそうね、じゃあ今度、約束ね」

 

正臣  「亭主、急な座敷が入ったんで菓子を頼みたいのだが、ここの練きりを15頼む
    あと御遣い用に羊羹を包んでくれ」
亭主  「あいよ!」
和仁  「君は、華屋の若衆かい?」
正臣  「え? と、あ。伊集院様」
和仁  「やっぱり。袖に華屋の紋が入っていたから聞いてみたんだが当たりだ」
正臣  「あの、何かご用でしょうか?」
和仁  「少し、時間を貰ってもいいかな?」
正臣  「まぁ、別にこの買い出しさえ終われば夜見世前までは暇ですけど」
和仁  「良かった」
正臣  「昼見世時に遊郭にいるなんて、何しているんですか?」
和仁  「ん? 何って?」
正臣  「まさか、昼見世をどこかの妓と過ごそうなんてしていないでしょうね」
和仁  「あぁ、そういう疑いか。私の敵娼は百合花魁なのでね、浮気はしないよ」
正臣  「なら、結構ですけど」
和仁  「少し、百合花魁の事を聞いても大丈夫かな?」
正臣  「女郎のあれこれを犬の様に嗅ぎ回るのは無粋者の所業ですよ」
和仁  「廓の常套句だね」
正臣  「俺は、伊集院様に話す事は何もありません」
和仁  「そうか・・・。では、華屋で『少し前にここの若衆と話したのだが、大変に横柄な態度で非常に気分を害したので
    今回をもって華屋に登楼するのをやめようと思う』そう伝えるのは私の自由だね?」
正臣  「えげつなくありませんか?! それは!!」
和仁  「自分の欲求には忠実に従うようにしているんだ。我慢は良くない」
正臣  「だから脅迫ですか?!」
和仁  「そうか、こういう行為を脅迫というのだね? 覚えておこう」
正臣  「わざとらしい」
和仁  「無茶は言わないよ。金が欲しいなら情報相当の金も払おう」
正臣  「もう既に無茶を言ってる自覚を持って下さいね。金は要りません、用件を言って下さい」
和仁  「君はまだ若いね、それなら百合花魁が遊郭入りした理由は知らないか」
正臣  「ある程度」
和仁  「ん?」
正臣  「百合花魁の母親と女将さんは知り合いだったから、その関係で体裁上に女衒を通して女郎入りしたそうです」
和仁  「そうか・・・。借金がない、とはそういう事か」
正臣  「厳しい女将さんが例外的に百合花魁に甘いんで不思議に思って兄さんに聞きました」
和仁  「兄さん?」
正臣  「若衆入りしてからの俺の師です。名前は言えません、迷惑を掛けたくありませんから」
和仁  「そうだね、済まない。では、百合花魁は女将さんと仲がいいんだね」
正臣  「仲がいいと言うか、親子みたいですよ」
和仁  「なんで、女郎になったりしたんだ」
正臣  「百合花魁は花魁である事に誇りを持っています
    本当に百合花魁が好きなら花魁である事も全部受け止められなければ本物じゃない」
和仁  「花魁だから、女郎だから、そう軽蔑している訳ではないよ
    もっと早くに探し出せていたら他の方法で恩義を返す事も出来たんじゃないかと悔やまれてね」
正臣  「百合花魁は何が何でも女郎になったと思います。責任感の強い人だから」
和仁  「責任?」
正臣  「お願いがあります。伊集院様」
和仁  「あ、あぁ。無理を言って引き留めているんだ。私に出来る事ならなんでも」
正臣  「決して、金に物を言わせて百合花魁を身請けする様な真似だけはしないで下さい」
和仁  「しないよ、そうしたいけど、何か酷く思い詰めている様だったから」
正臣  「華屋には、時期お職を飾れる女郎がいないんです」
和仁  「そんな事、私に言ってしまって構わないのか?」
正臣  「若山に来たのは最近でしょう? 以前から来ていたのなら知っている筈です
    見世のお職は必ず次代お職になる新造を座敷に連れて行きます
    けれど、百合花魁が連れている新造は皆冴えない女ばかりだ、と噂になるくらいです」
和仁  「深刻な事情、だね」
正臣  「過去に遡れば、椿花魁、牡丹花魁、藤花魁、水芭蕉花魁、石楠花花魁と何代も続く確かなお職筋
    百合花魁を含めて素晴らしく教養の高い美しい方々ばかりだった。なのに百合花魁でお職が途絶えるか
    そんな、まことしやかな噂が流れて、角名賀楼や手鞠屋はこれを機会に若山の頂点を取る気です」
和仁  「百合の覚悟に、そんな重い物があったのか」
正臣  「俺も華屋の若衆ですから出来る事は無いかと考えたりします」
和仁  「こればかりは男がしゃしゃり出て何とかできる問題ではなさそうだね。なんとか助けてやれることはないか」
正臣  「きっと、百合花魁は伊集院様には相談もしないと思います」
和仁  「そうだろうね。もっと頼ってくれてもいい物なのに」
正臣  「新造出しの費用を持ってくれる客がいれば相応な女がいない訳じゃないんです」
和仁  「っ? いるのか?」
正臣  「今百合花魁が躾けている禿の中ではおそらく一番の美人だと思います」
和仁  「そうか」
正臣  「なんだか嬉しそうですけど、伊集院様は百合花魁の敵娼ですからそれは出来ませんよ?」
和仁  「知っているよ」
正臣  「済みません、長居しすぎました。さすがに戻らないと」
和仁  「ありがとう、色々と助かった」
正臣  「失礼します」
和仁  「亭主、煎茶をもう一杯くれ」
亭主  「へぃ!」
和仁  「三蔵の同業を当たってみるか。山瀬か長谷川なら新造出しの費用・・・。ん、亭主」
亭主  「へい、何でしょう?」
和仁  「新造出しの費用ってどのくらい掛かるんだ?」
亭主  「そりゃあ、見世にもよりますぁな」
和仁  「華屋、なら」
亭主  「はははっ! こりゃあとんでもない事をお考えで
    確か、百合花魁の費用は尾張藩主が大名、阿部各務原守(あべかがみがはらのかみ)新之助様で二百両はくだらなかったとか」
和仁  「二百か・・・。そのくらいなら懐も痛まないだろう」
亭主  「あんた、何もんですか?」
和仁  「はは、三蔵のしがない札差だよ」
亭主  「札差、でしたか」
和仁  「武士相手のケチな商売に過ぎないさ」

 

女将  「そうかい、紫苑が食事時にそんな我儘を言ったのかい」
百合  「まさか見世の事情を調べてまで我儘を通そうなんて、考えてもいなかった」
女将  「女郎としてはそれくらいのずるさがないと、とは思うが余りいい事じゃないからね」
百合  「他の花魁が手に負えないのはよく判った」
女将  「蓮太郎にも迷惑をかけちまったねぇ」
百合  「蓮太郎は気にするなと言ってくれたけど」
女将  「そういう事じゃないんだよ」
百合  「他の新造や禿の手前という物があるもの」
女将  「困ったねぇ」
百合  「責任を放棄しようと思っている訳じゃないけど、どうしたらいいかな」
女将  「椿はどうしていたんだっけね」
百合  「椿姐さん?」
女将  「確か椿の時にも我儘な娘がいただろ、菫だったかね」
百合  「あ・・・、覚えてる。確か出自が武家だったって言うんで物凄く我儘な子」
女将  「旗本の娘って言うんで椿に任せたんだったね」
百合  「椿姐さんも旗本の娘だったもんね」
女将  「器量も出来栄えも椿よりゃ数段粗末だったがね」
百合  「そう? そこそこきれいだったと思う。でも紫苑に負けず劣らず我儘だったよね」
女将  「結局椿が更生させたものの、風邪こじらせて初見世前におっ死んじまったけどね」
百合  「椿姐さんの躾は厳しかったよ?」
女将  「牡丹は優しかったからね」
百合  「椿姐さんは優しい時はとても優しいのに、怒るとすごく怖かった」
女将  「使い分けだろ。普段はあんぽんたんな顔して甘いもん食ってたさ」
百合  「椿姐さんに呪われるよ? そっか、躾・・・、躾、だもんね」
女将  「何か思い付いたのかい?」
百合  「荒療治になるけど、いい?」
女将  「何でもいいよ。物になるなら」
百合  「うん、やってみる」

 

紫苑  「なにさ、中庭なんかに連れて来て。何する積もり? 蓮太郎まで呼んでさ」
百合  「蓮太郎、腕の立つ若衆を数人集めてくりゃれ」
蓮太郎 「構いませんが、一体何を? ・・・中庭、男衆・・・、まさか」
百合  「蓮太郎も覚えておりんすな? 椿姐さんがここで何をやったか」
蓮太郎 「覚えてます、判りました。道具も揃えます」
百合  「頼みんす」
紫苑  「ど、道具って、なんの? 若衆ってなによ。まさか暴力で解決するの?!」
百合  「犬畜生も叩けばいう事を聞きんす」
紫苑  「あた、あたしは! 犬じゃない! 何考えてんの?! 馬鹿じゃない?!」
百合  「おんしの両親は親元落籍なん出来やせん。諦めや」
紫苑  「それとこれと何の関係があるってのさ!」
百合  「おんしは女郎じゃ。ここから出る事はあいならん、ならば働かねばならん」
紫苑  「あたしはまだ働けないってあんたが言ったんじゃない!」
百合  「今は働けん。恥ずかしくておきちゃの前になど出せん。故に働く為の躾をせねばならん」
紫苑  「どうせ足開いて男と寝るだけの仕事に躾なんて要るもんか!」
百合  「男は夢を見に来るのじゃ。おんしでは粗末な夢しか見せられん」
紫苑  「そんな事あたしの知った事じゃない!」
百合  「華屋の花魁。それが何の意味を持つか教えるのがあっちの務めじゃ」
紫苑  「たかが女郎ごときが偉そうに何言ってんのさ!」
百合  「そういう事は、おんしが侮辱する女郎に勝るものを一つでも身に着けてから言いなんし」
紫苑  「勝手に人を連れて来ておいてふざけるな!」
蓮太郎 「百合花魁、連れて来ました」
百合  「ありがとうございんす」
蓮太郎 「何をするか存じておりましたので、若衆には説明済みです」
百合  「助かりんす」
蓮太郎 「いつでもどうぞ」
百合  「誰ぞこの華屋の為に我が身を捧げられる若衆はおらんか!」
紫苑  「なにさ、・・・、なにさその棒?!」
蓮太郎 「説明せずともすぐに判るでしょう」
百合  「誰か」
蓮太郎 「正臣、紫苑さんを逃がすな」
正臣  「は、はい」
百合  「3両、ここにありんす。治療代が必要ならそれも責任もって払いんしょう。誰ぞ」
蓮太郎 「・・・」
正臣  「・・・」
紫苑  「・・・っ、離して!」
百合  「誰ぞおらんか!」
蓮太郎 「俺がやります」
百合  「蓮太郎」
正臣  「お、俺がやります!」
百合  「正臣」
蓮太郎 「正臣」
正臣  「蓮太郎さんは料理番。腕を怪我して台所の仕事に支障が出ては困ります」
蓮太郎 「ここに居る若衆は皆それぞれ仕事がある。支障をきたすのは俺だけじゃない」
正臣  「手を使う仕事です。俺は不寝番か二階回し。それなら多少怪我をしてもやれます」
蓮太郎 「簡単には治らないぞ」
正臣  「だからこそです」
紫苑  「怪我するって何が? 簡単に治らないってどういう事なのさ!」
蓮太郎 「・・・」
正臣  「金が欲しい訳じゃありません。華屋の為に」
蓮太郎 「判った、頼む。正臣」
百合  「ごめんなんし」
正臣  「いえ、大丈夫です。蓮太郎さん紫苑さんをお願いします」
蓮太郎 「判った」
紫苑  「離しなさいよ!」
百合  「正臣、腕を出しや」
正臣  「はい」
蓮太郎 「正臣、猿ぐつわは? いるか」
正臣  「要りません」
百合  「・・・っ」
蓮太郎 「・・・百合花魁。椿は躊躇わなかった」
百合  「っ! 打ちや」

【叩く音バシッ】

正臣  「・・・っ!! くっ!」
紫苑  「いやああああああ!! 何してんのさあんた達馬鹿じゃないの?! 離してよ蓮太郎!
    あたしに! こんなものを見せてどうする積もりさ! あいつが何をやったか知らないけどさ!」
蓮太郎 「正臣は何もやっていないし、罪もない」
紫苑  「どういう事だよ! もう、あんた達がなにやってるかさっぱり判らないよ!」
百合  「正臣、その腕を紫苑に見せや」
正臣  「はい」
紫苑  「嫌! 見たくない! そんな気持ち悪い物!」
百合  「紫苑! おんしの罪を正臣が受けたんでありんす! 目を背けずにしっかり見や!」
紫苑  「あたしの罪を被っただって? 訳判らない事言わないでよ!」
蓮太郎 「しっかり見て下さい、紫苑さん」
百合  「蓮太郎、紫苑の頭を押さえつけてきちっと見せなんし」
蓮太郎 「はい」
紫苑  「い・・・、やだったら! 離して」
百合  「正臣、もっと紫苑にしっかり見せや」
正臣  「どうぞ、しっかりとご覧ください」
蓮太郎 「この先の割れた竹の棒で一度打てば、竹の間に肉が挟まれ引き剥がされます」
紫苑  「う・・・、うぇ・・・っ」(吐きそうになる)
百合  「正臣、ありがとうございんす。約束の3両じゃ。今日はもう休みや、おんしの今日の賃金はわっちが払う」
正臣  「でも」
蓮太郎 「正臣、言う通りにしろ。破傷風になどなられたらそれこそ困る
    医者に診せて治療して貰ったらしばらく休め」
正臣  「はい」
紫苑  「もう、もう、意味わかんない!」
百合  「紫苑、今からおんしの着物を剥いでこの棒で、十打ちんす」
紫苑  「え」
百合  「着物を脱がして柱にくくり付け!」
紫苑  「いや・・・、いやあああ!!! やめてよ! 離してよ!!」
百合  「襦袢もじゃ。湯文字だけにしてくくり付けや」
紫苑  「いやああ!! 嫌だったら!!」
百合  「紫苑、わっちも鬼じゃありんせん。今後一切我儘を言わず、身を入れて努めるなら打つのはやめんしょう」
紫苑  「判ったよ! やるよ! ちゃんと躾も受けるから! 琴も三味も頑張るから!
    手習いも、全部やるから・・・っ。お願い、離して・・・」
百合  「約束じゃ」
紫苑  「絶対、約束する」
百合  「そんじゃあ、部屋に戻りんすよ。おんしらもご苦労でありんした
    夕食にみんな、熱燗を貰いや」
男衆  「やったぜ」「熱燗だってよ」「さすがお職」等々ガヤ

 

杏   「あー、もう紫陽花白粉使いすぎぃ! 最近減りが早いと思ったらそんなに塗って」
紫陽花 「別にいいだろ? どうせ無くなったら新しいのが支給されるんだし。早く使って新しいの使いたいじゃないのさ」
杏   「女将さんの事だから絶対借金に加えてんだろ? 業突く張りが」
紫陽花 「みんなで仲良く借金分担。どうせ返せる当てなんてないんだしさ」
杏   「まぁ、返せないなら増やしてもいいか」
紫陽花 「そうそう、花魁達みたいに自分達で化粧道具買うなんて出来ないしね」
杏   「そうそう、そう言えば禿に言って、百合の白粉と紅かっぱらってきて貰ったんだよね」
紫陽花 「あぁん? どれどれ見せて」
杏   「ほら、これ」
紫陽花 「おぉ、入れ物が輝いてる!」
杏   「新品らしいんだ、開封式と行きませんかね、紫陽花さん」
紫陽花 「いいですね、杏さん」
杏   「かっぱーんっ!」
紫陽花 「すっげ、いい香りがする!」
杏   「この手触り、あたしらん所みたいにドロドロじゃない」
紫陽花 「さらさらしてる、すげぇなこんなに伸びる」
杏   「このノリの良さ、たまらないね」
紫陽花 「きめも細かいし、はぁー、いいな。毎度こんなの使ってんのか」
杏   「今日はあたしこの白粉で化粧しよ」
紫陽花 「そんなのがあるなら先に言えって、杏のケチ」
杏   「それより、聞いたかい? この間の紫苑の折檻の話」
紫陽花 「あぁ、昼に客の付いてない女は見てたらしいね」
杏   「酷い扱いするよ、ホント」
紫陽花 「けど、あの紫苑て禿は確かにムカつくね」
杏   「あぁ、あたしもそれは同感。なんだかあたしたち見る時なんか虫けら見るような顔でさ」
紫陽花 「気分悪いよね、はん! てめぇだっていずれは男咥えてあんあん言うようになるんだよ」
杏   「なんでも親元身請けがどうとか言ってたらしいよ」
紫陽花 「はっ! 売った娘を買い戻す親がどこにいるんだよ!」
杏   「そもそも買い戻すくらいなら売らねぇってのな」
紫陽花 「現実が見えてねぇんだよ」
杏   「顔がきれいだってんでえらい高かったって話だろ」
紫陽花 「五百だか六百だか知らねぇけど相当だろ? そんな借金払える親がどこにいるってんだよ」
杏   「今時分、家に女が産まれたら親は売る算段しかつけねぇよ」
紫陽花 「町方で小さくても店もってりゃまた別だろうがよ」
杏   「なんもねぇ家なんざ、子供ばっかり沢山作って女は妓楼、男は武家か庄屋の奉公しか考えてねぇんだからよ」
紫陽花 「世知辛いよなぁ」
杏   「あーあ、どっかいい男が身請けしてくんないかなぁ」
紫陽花 「無理だろ」
杏   「身請けしてくれるなら妾でもなんでもいいよ、贅沢は言わない」
紫陽花 「ないない、年季が明けるまであたしらなんてここで昼夜働くしかないよ」
杏   「紫陽花は夢がないね」
紫陽花 「夢見て泣くのは自分だろ」
杏   「間夫でも作ろうかな」
紫陽花 「そんなもん作ったら年季が伸びるだけだよ」
杏   「間夫がいなけりゃ女郎は闇、ってね。さーて、仕事仕事」

 

紫苑  「蓮太郎」
蓮太郎 「紫苑さん、稽古は終わったんですか?」
紫苑  「お、終わったよ。一応・・・」
蓮太郎 「百合花魁は夜見世の支度に入っている筈。支度を手伝って下さい。
    台所まで来て油を売っている時間など今のあなたにはない筈ですが」
紫苑  「間夫っていうんだっけ?」
蓮太郎 「・・・? どなたか気になる男性がいらっしゃいますか」
紫苑  「違うよー。女将さーんとぉ、蓮太郎」
蓮太郎 「なんだ、そんな事ですか」
紫苑  「きれいな顔して、濁りなんてありませぇんって澄まして、蓮太郎って汚いよね」
蓮太郎 「なんとでも仰って戴いて構いません。あなたも自分のやるべき事やってから無駄口を叩く時間を作って下さい」
紫苑  「椿花魁は?」
蓮太郎 「・・・っ?!」
紫苑  「あ、顔色変わった。じゃあ、椿花魁とデキてたって言うのも本当なんだ」
蓮太郎 「今更な情報をかき集めて攪乱させようとでも?」
紫苑  「ね、台所の裏で話さない? 大事な話」
蓮太郎 「判りました。なるべく手短にお願いします」
紫苑  「はぁーーい、ふふっ」

蓮太郎 「で? 大事な話とは」
紫苑  「ふふっ、あたしね、蓮太郎が女将さんの間夫になってる理由知ってるよ?」
蓮太郎 「そうですか」
紫苑  「こういうのって誰に言えば一番いいの? 大門横の詰所? それとも女将さん本人?」
蓮太郎 「脅迫、ですか。目的は?」
紫苑  「あたしを自由にして」
蓮太郎 「自由、とは」
紫苑  「女郎になんてなりたくないの。足抜けさせて」
蓮太郎 「なるほど。大雑把ですが判りやすいです」
紫苑  「蓮太郎なら、ここの仕組みだって詳しいし注意しなきゃいけないところ判ってるでしょ?
    足抜けについてはずっと考えてたんだけど一人じゃやっぱり無理なんだよね」
蓮太郎 「無理でしょうね。そんなに簡単に成功するなら遊廓の仕組みはとっくに破綻していますから」
紫苑  「だから、蓮太郎に手伝って貰おうと思って」
蓮太郎 「十中八九失敗する足抜けですが、必ずしも失敗する訳ではない。俺に相談したのは正解だと言えます」
紫苑  「じゃあ、手伝ってくれるの?」
蓮太郎 「はい。遊郭の仕組みについてはある程度精通していると自負していますから」
紫苑  「ふふ、そぉーんなに知られたくない事なんだ。蓮太郎にとって女将さんには」
蓮太郎 「ご存知の上で俺を脅迫したんでしょう?」
紫苑  「そうなんだけど、こんなに素直に認めて従ってくれるなんて思ってなかったもん」
蓮太郎 「余計な口外を防ぐ為には認めるのが一番ですからね。策を考察します、その時間くらいは戴けるでしょう?」
紫苑  「そりゃ、失敗はしたくないもん。でもどれくらい?」
蓮太郎 「快適に出られるとは思わないで下さい」
紫苑  「どういう事?」
蓮太郎 「足抜けは犯罪です」
紫苑  「知ってるよ、それくらい」
蓮太郎 「籠に乗って悠々自適に出られるとは思わないで下さいと言う意味です
    糞便を運ぶ樽か、死体運びの棺桶、廃棄物の荷と一緒に運び出すくらいしか出来ません」
紫苑  「え」
蓮太郎 「無論、自分の足で歩いて大門を出るなどというのは論外です」
紫苑  「そんな、ちょっと、嫌かな・・・。どっかから大門切手を入手できないの?」
蓮太郎 「無理です」
紫苑  「どうにかしてよ!」
蓮太郎 「・・・(苛々少々)、はーーー・・・っ。本当に、我儘ですね」
紫苑  「方法あるでしょ?」
蓮太郎 「大門切手は女郎にとって手に入らないだけですから入手方法がない訳ではありません」
紫苑  「ほら! やっぱりあるんじゃない!」
蓮太郎 「ですが最も危険な方法です」
紫苑  「なんでよ」
蓮太郎 「紫苑さん。あなたはご自分の美しさをもっとご考慮に入れて下さい」
紫苑  「・・・っ(照れ)」
蓮太郎 「お針子にしても町娘にしても、あなた程の垢抜けた美女はいません」
紫苑  「や、まー、そりゃ、そーだけど」
蓮太郎 「大門切手を渡した所で疑われます。身元を調べられたら足抜けがバレて折檻ですよ」
紫苑  「うっ」
蓮太郎 「顔も姿も見られずに外に出る必要があるんです、判りますね?」
紫苑  「判った。で、いつ?」
蓮太郎 「明日、辰三つ時に百合花魁と他の新造及び禿に見付からない様に奥座敷に来て下さい。
    弔い衆に話を通しておきます」
紫苑  「やっぱり棺桶なんだ」
蓮太郎 「なるべく新品の棺桶を用意します。それで勘弁してください」
紫苑  「新品なら、我慢するよ」
蓮太郎 「ですが、その前にあなたが他に話す素振りを見せた場合容赦はしません」
紫苑  「判ってるよ。約束は守らないとね。じゃあ、部屋に戻ろう、蓮太郎、よろしくね」
蓮太郎 「はい」
紫苑  「あ、今日の夜ごはん! ゆで玉子と魚の照り焼き食べたいな」
蓮太郎 「判りました」
紫苑  「またね!」
蓮太郎 「・・・、はーーー・・・(長い溜息)」


紫苑  「蓮太郎?(小声)」
蓮太郎 「はい。弔い衆には袖の下を渡しましたが、あくまで死体運びに俺が同行する為です。
    あなたはこの棺桶に入ってなるべく息をひそめて下さい。
    小さな空気穴は開けておきましたので苦しくはならないでしょう」
紫苑  「・・・、本当に、大丈夫なの?」
蓮太郎 「責任もって運び出します、ご安心を」
紫苑  「判った。信じるよ」
蓮太郎 「急いでください」


蓮太郎 「紫苑さん、もう出ても大丈夫ですよ」
紫苑  「蓮太郎? う、眩しい!」
蓮太郎 「窮屈な思いをさせましたね、済みません」
紫苑  「ここは、もう大門の外?」
蓮太郎 「ええ、妙久寺といって若山遊郭投げ込み寺の裏口です
    いつまでもここに留まるのは危ないのでもう少し場所を移動しましょう」
紫苑  「喉乾いたよ」
蓮太郎 「どうぞ。水です。それと頭巾をなるべく目深にかぶって下さい」
紫苑  「やったー。よかった、本当に外に出られたんだ!」
蓮太郎 「あちらの雑木林を越えると東海道の宿場があります。そこまで出られれば江戸までの道も確保できるでしょう」
紫苑  「ところでさ、蓮太郎」
蓮太郎 「いくらなんでも手伝えるのはここまでですよ?」
紫苑  「知ってるよ。旅の路銀が無いんだ。百両くらい頂戴?」
蓮太郎 「ひゃく・・・っ。・・・路銀については持って来られない事は予想していましたが、百両とはまた大きく出ましたね」
紫苑  「うそうそ、言ってみただけ」
蓮太郎 「江戸まで女性の足で約半月
    宿代含め2.3両で足りるとは思いましたが我儘なあなたですから、一応20両用意してきました」
紫苑  「さすが! 話が判る!」
蓮太郎 「取り敢えず、雑木林まで急ぎましょう。投げ込み寺にはほぼ毎日女郎の死体が運び込まれます
    中にはあなたの顔を知っている弔い衆もいるでしょうから」
紫苑  「はぁーい。なんていうか、蓮太郎って本当に頼りになるよね」
蓮太郎 「どうも」
紫苑  「美人だって言ってくれてありがとう」
蓮太郎 「・・・、藪から棒に、なんでしょう」
紫苑  「何調べてるのか知らないけど、一緒に来れば楽になれるんじゃない?」
蓮太郎 「ここまでだ、と申し上げました」
紫苑  「むぅ」
蓮太郎 「あなたの様に頭の悪い女性、嫌いなんですよ」
紫苑  「はぁ?!」
蓮太郎 「我儘でこらえ性も無く、自分自身に甘くて協調性もない
    向上心も向学心も、そして何より自己の矜持も持たない
    唾棄すべき存在というのはあなたの様な女性を言うんですよ」
紫苑  「喧嘩売ってんの?」
蓮太郎 「・・・、椿は」
紫苑  「椿花魁がどうしたのよ。結局女郎として生きて行けないから自殺したんでしょ? 堪え性無いのなんか一緒じゃん」
蓮太郎 「・・・っ!!
紫苑  「あがっ!」
蓮太郎 「・・・、俺が、どうして協力したのか全く考察しなかったんですか。浅はかですね」
紫苑  「・・・っう、苦しっ!! 首・・・、手を・・・離して」
蓮太郎 「椿は、若山の女郎全てを救う為に自分の命を掛けて闘ったんですよ」
紫苑  「ゲホン、ゴホ・・・、はぁ、は。何言ってんの? 全てを救う? そんな事出来る筈ないのに馬鹿なの?」
蓮太郎 「決して、あなたの様な腐敗した精神の女を救う為ではない」
紫苑  「何でもいいよ! さっさと20両よこしなさいよ! 雑木林抜ければ宿場に出るって言うなら一人で行ける!!」
蓮太郎 「華屋お職の筋を守り抜いて死んだ椿の後に控えるのがあなたの様な怠慢な人間などと認めない」
紫苑  「男に体売ってる汚らわしい女郎の後釜になんかなりたいもんか!」
蓮太郎 「ふ・・・、汚らわしい、ですか」
紫苑  「毎日昼も夜も男に股開いてさ! 汚らしいっ」
蓮太郎 「俺はね、あなたの血を華屋で流すなど、許せなかったんですよ」
紫苑  「はぁ?」
蓮太郎 「殺そうと思えば、あなたが足抜けをしたいと言った台所裏でも殺せた」
紫苑  「な、何を言ってんの?」
蓮太郎 「けれど、あの場所は俺にとって椿との大切な想い出の場所。あなたの血で穢すなど俺が許せなかった」
紫苑  「まさか」
蓮太郎 「遊廓の外の空気は美味しいですか? やっと殺せますね、紫苑さん」
紫苑  「あんた! 狂ってるんじゃ・・・、ないでしょうね」
蓮太郎 「狂ってますよ? 知らなかったんですか?」
紫苑  「か、懐剣・・・?」
蓮太郎 「何の変哲もない短刃ですから証拠にはなりません」
紫苑  「あぅ・・・っ!!」
蓮太郎 「心ノ臓をひと突きにすればあっけなく死ねますが、
    それでは武道に精通している者が殺したと推測されてしまいます」
紫苑  「うぁ、あ、あが・・・、ぐっ」
蓮太郎 「ですから、この様に鳩尾に刃を刺し込むんです。帯の上、刺さりやすいんですよ」
紫苑  「れんた、ろ・・・、あぐぁ!」
蓮太郎 「ただし、この状態では死にません。意外と人間は丈夫に出来ているので」
紫苑  「ど、して・・・」
蓮太郎 「どうして。不思議な事を聞きますね
    あなたが知り得た俺の情報、どこか別の場所であなたが漏らさない保障がどこにありますか」
紫苑  「あ、ぐぁ・・・、最初・・・、から」
蓮太郎 「最初から殺す積もりでしたよ、今更です」
紫苑  「う、ぐ・・・」
蓮太郎 「苦しそうですね、もう終わらせてあげます。この様に、刺した刃を四半回し抜く」
紫苑  「あぐぁ!!」
蓮太郎 「蘭方医から学んだんです。臓腑のよじれによる大量出血が死に至ります」
紫苑  「は、ぐ、ぁ・・・、あ・・・」
蓮太郎 「無駄な時間でしたよ。辰の刻くらいゆっくり寝かせて欲しいものですね」

 

百合  「紫苑? 紫苑? あ、蓮太郎、紫苑知らない?」
蓮太郎 「いえ、・・・また、居ないんですか?」
百合  「あれ程約束したのに本当に信じられない」
蓮太郎 「見掛けたら百合花魁の部屋に戻るように伝えます」
百合  「うん、いつもごめんね」
蓮太郎 「いえ」
百合  「じゃあ、あたし砥鹿神社へお参りに行って来る」
蓮太郎 「お気を付けて。・・・、ふぅ、・・・眠たい」
正臣  「蓮太郎さん、大丈夫ですか? 顔色が良くないです」
蓮太郎 「正臣。・・・あまり眠れてないからだと思う」
正臣  「今日は休んだ方がいいんじゃないんですか? そもそも蓮太郎さん、働き過ぎですよ」
蓮太郎 「そうでもないよ」
正臣  「そうでもあります。時々人かどうか怪しいです」
蓮太郎 「酷い言われ様だ」
正臣  「見世周りの事は俺がやりますから休んで下さい」
蓮太郎 「腕は、もう大丈夫なのか?」
正臣  「かさぶたがかゆいくらいです」
蓮太郎 「・・・治るの早くないか?」
正臣  「子供の頃からトカゲ並みに怪我が治るの早いんです」
蓮太郎 「トカゲ・・・。・・・?! 正臣、ちょっとこっちに来い」
正臣  「なんですか?! こんな倉庫に引きずり込んで! まさか蓮太郎さん衆道」
蓮太郎 「しっ、黙って(小声)」
正臣  「っ?!」

杏   「じゃあ何? あんた本当にやったの?」
紫陽花 「まぁね。その手の伝手はあったから楽勝」
杏   「えげつな」
紫陽花 「ちょっとくらい悩んで苦しめばいいんだよ。どう足掻いたってあたしらには勝ち目なんてないんだからさ」
杏   「そりゃね、あたしはここに来た時別嬪とは言われたけどもう十五だったし、紫陽花も?」
紫陽花 「あたしはもう生娘じゃなかったのさ。だから花魁の教育は受けさせて貰えなかったんだよ」
杏   「それにしても格差があり過ぎるっつぅの」
紫陽花 「百合が一晩一両二分だろ?」
杏   「加えて祝儀」
紫陽花 「あたしらなんて一晩一分、六分の一なんて馬鹿にし過ぎ」
杏   「だよね。昼なんか一朱だもんね。正直やってられない」
紫陽花 「それにどんだけ必死で頑張ったってよ、あたしらに貰える賃金なんて二割五分
    更に借金差っ引かれて、挙句飯代だの風呂代だの部屋代だので
結局手元に残るのなんか一割にも満たない」
杏   「よく計算してんな。あたしはもう馬鹿馬鹿しくて計算なんてしてないよ
    どうせ年季が明けるまでこっから出られないんだ」
紫陽花 「あいつら祝儀だって半端じゃない。ちょっとくらい痛い目見りゃいいんだよ」
杏   「痛くもないだろ? あたしらは足開いて男咥えんのが仕事だ
    ちょこっと犯されたって痛みなんてあるもんか」

正臣  「・・・っ?!」
蓮太郎 「落ち着け、正臣(小声)」

杏   「さ、湯使いに行くベ」
紫陽花 「さっさとしないとまたうるさいのが来るし、面倒臭いけど支度すっか」

正臣  「犯す? って・・・、百合花魁を?」
蓮太郎 「多分。正臣、百合花魁を迎えに行ってくれないか? 俺は行ける状況じゃない」
正臣  「で、でも、百合花魁がどこに行ったのか判らないんです、けど」
蓮太郎 「・・・っ、済まない。しっかり聞いていなかった。お参りに行くと言っていたのは覚えているんだが」
正臣  「お参り、ですね。じゃあ四つ角のどこかの社ですね」
蓮太郎 「多分」
正臣  「全部回ってきます!」
蓮太郎 「頼む」

 

正臣  「ぜい・・・っ、はぁ・・・。くっそ大懸神社にも真澄田神社にもいなかった・・・、はぁ
    田懸神社は・・・っ、くそ! いないか・・・! あとは砥鹿神社! 頼む! 間に合ってくれ!
    砥鹿神社・・・?! ・・・っ?! 百合花魁?!」
百合  「・・・? まさ、おみ?」
正臣  「百合花魁!! その、恰好は・・・?!」
百合  「あ、はは・・・、なんかね、男5人にね・・・、やられちゃった・・・。あは、は」
正臣  「くそっ!間に合わなかった!! ちくしょう・・・。百合花魁、背中におぶさって下さい
    見世に、戻りましょう」
百合  「・・・うん、ありがとう・・・。ごめんね」

 

蓮太郎 「正臣、・・・百合花魁。そ、か・・・、間に、合わなかった、か」
正臣  「済みません」
蓮太郎 「正臣のせいじゃない、俺がきちんと行く先を聞いてなかったせいだ」
正臣  「蓮太郎さん! 俺っ! 悔しいです!」
蓮太郎 「判ってる、百合花魁。気落ちされている所申し訳ありません。男共の顔を覚えていますか?」
正臣  「蓮太郎さん! 何言ってるんですか?! こんな! こんな状態の百合花魁に!
    覚えている訳ないじゃないですか!」
蓮太郎 「黙って。百合花魁の記憶力は群を抜いている!」
正臣  「けど、何も今じゃなくたって!」
蓮太郎 「今じゃなくていつ聞く?! 男達が遊郭から逃げた後か!」
正臣  「・・・っ!」
百合  「一人は、右の頬に大葉の様な染みのある男」
蓮太郎 「はい」
百合  「左腕に五寸ほどの傷がある男、ひげが濃くて顎の割れた男、左目が潰れた隻眼の男」
蓮太郎 「四人、ですか?」
百合  「・・・っ、・・・、あとは」
蓮太郎 「あとは?」
百合  「あとは、首とか顔も! 手に平にも! 全部に紅い斑点の拡がった男!!」
蓮太郎 「・・・っ!! ・・・そう、ですか」
正臣  「蓮太郎さん?」
蓮太郎 「聞いたな、正臣。今すぐ探して来い」
正臣  「くそっ! くそ! 殺してやる」
蓮太郎 「殺すな、正臣」
正臣  「けど!」
蓮太郎 「同じ事を繰り返させない為にはそいつらの証言が必要なんだ! 殺さずに連れて帰って来い
    見世の衆を数人連れて行け」
正臣  「・・・っ!」
蓮太郎 「早くしろ! 正臣!」
正臣  「・・・はい」

 

蓮太郎 「すぐに、湯の用意をします」
百合  「多分ね、目に見えた症状はないけどみんな同じだよ」
蓮太郎 「おそらく」
百合  「体中に斑点が広がった男は、もうまともに喋れない位、脳に梅毒が回ってた」
蓮太郎 「湯の、用意をしますから、体を洗って、女将さんが心配しますよ」
百合  「花魁用のお風呂は使えないでしょ?」
蓮太郎 「・・・、では奥座敷の裏手側に簡易ですが湯を用意します」
百合  「うん、ごめんね・・・」
蓮太郎 「いえ」

 

女将  「そうか」
百合  「だから、もう、客は取れない。ごめんなさい」
女将  「何言ってんだよ、鳥屋が付くのはいっぱしの女郎の証だって言うじゃないかい! 落ち込む必要なんてないさ
    それに、お職を降りるってんならあたしの念願だったあんたをあたしの後釜にする事だって出来るって事さね」
百合  「後釜・・・」
女将  「女郎なんてやめちまいな。いいよ、あんたはあたしの娘としてここで暮らしな」
百合  「・・・っ、ふ・・・、ぅ」
女将  「泣かなくていい、泣くんじゃない。大丈夫だよ」
蓮太郎 「失礼します、女将」
女将  「蓮太郎、どうした」
蓮太郎 「犯人を捕まえました」
女将  「誰の指示か吐かせたんだろうね」
蓮太郎 「いえ。正臣が事の済んだ男達に金を渡す女郎を目撃しました」
女将  「そうかい」

 

紫陽花 「ねぇねぇ! 百合がお職を降りるってさぁ、あはは!」
杏   「はぁ? たかが数人の男に輪姦されたくらいで? 意外と気概がない」
紫陽花 「あんた気付かなかったの?」
杏   「何を」
紫陽花 「連中、全員梅毒持ちだよ」
杏   「何それ?! ちょっと酷くない」
女将  「いつまでちんたら準備してんだい! さっさと支度しな!」
紫陽花 「うわぁ、出た!」
女将  「あぁ、紫陽花と杏は支度しなくていい」
紫陽花 「へ?」
杏   「なんで?」
女将  「見世替えだ」
紫陽花 「・・・っ?!」
杏   「え、なんであたしまで?」
紫陽花 「いいのかよ、女将がそんな私怨で動いてよ!」
女将  「私怨? 馬鹿言うんじゃないよ。事の大きさが判ってない様だね?」
杏   「百合花魁の事可愛がってるから見世替えなんて言い出したんだろ?! はっ、ざまぁないね!」
女将  「怠慢、不利益、秩序を乱す行為! それらを行う者は制裁が必要なんだよ」
杏   「あたしは、主犯格じゃないし!」
女将  「加担したのは事実だ」
紫陽花 「はっ! 好きにすりゃいいだろ?! どうせ年季が明けるまで廓からは出られないんだ
    どこで働こうが一緒だ! どこなりとでも好きにしな!」
杏   「ふんっ、だよね?! どうせ集合部屋なんてどこも似た様なもんさ!」
紫陽花 「で? もう見世は決めてあんだろ? どこだよ!」
杏   「どこの中見世さ! それとも小見世かい? いいさ! 華屋以外なら張見世に出てたっぷり稼いでやらぁ!」
女将  「中見世、小見世? はっ! 甘ったれた事言ってんじゃないよ」
紫陽花 「どこだってんだよ!」
女将  「今なら選ばせてやろう」
杏   「は?」
女将  「西と東、どっちがいい」
紫陽花 「西・・・、東・・・、て・・・、切見世だ、ろ?」
女将  「三つ数える間に選びな」
杏   「や、ちょ」
女将  「ひとーつ」
紫陽花 「東って! 羅生門河岸の事じゃないか!!」
女将  「ふたーつ」
杏   「冗談じゃないよ! そんなのあたしそこまでの」
女将  「みっつ。東だ」
紫陽花 「ひ・・・っ」
女将  「切見世の事を少ぉし教えてやろう」
杏   「や、やだよ! や・・・っ」
女将  「昼夜一人ずつなんて楽な仕事じゃないよ? 一ト切100文、線香一本で男の精を抜くんだよ!」
杏   「言われなくても知ってるよ!」
女将  「一人抜いたら次の客。休みなんて無いと思いな! 麩海苔なんて上等なもんなんざ用意しやしないよ!
    数日経たずとあんた達の大事なとこは腫れ上がり、真っ赤にただれて自分の血で濡らして男を咥えるんだよ!」
杏   「嫌っ!」
紫陽花 「嫌だよ! 女将さん! 謝るよ! だから」
女将  「足にまとわりつくんじゃないよ! 鬱陶しい!(蹴り飛ばす)
    謝ってお前達のやった事が消えるんなら! あたしだって一緒に謝ってやるよ」
紫陽花 「そんなの・・・っ」
女将  「後悔しながら死ぬまで働きな! 蓮太郎! 連れて行きな! 途中で死なせるんじゃないよ」
杏   「や・・・っ! いやあああああ!!」

 

杏   「うっ・・・、ひっく、う・・・っ、うぅ」
紫陽花 「蓮太郎、あんたに聞きたいけどさ」
蓮太郎 「なんでしょう」
紫陽花 「あんたに良心はないのかよ」
蓮太郎 「そっくりそのままお返しします。紫陽花さん」
紫陽花 「杏、もう、泣くのやめな」
杏   「ぅ・・・っ、だって、こんなの・・・、ひっく」
紫陽花 「じゃあ、百合が同じ事したら、あんた切見世に落とせるんだね?」
蓮太郎 「そもそも、百合花魁はこんな愚かな真似をしません」
紫陽花 「はんっ! てめぇら忘八は女売ってりゃいいんだもんな! お気楽なもんだよ!」
蓮太郎 「お好きなように、気が済むまで罵って戴いて構いません。結果は変わりませんから」
杏   「ねぇ、なんの臭い? 凄い、臭い」
紫陽花 「・・・っ、なんだ? この臭い、いくらお歯黒溝が近いってったって、異常だ」
蓮太郎 「これは糞便の臭いです」
杏   「え?」
蓮太郎 「ここから先、渡し板以外の場所は歩かない事をお勧めします」
紫陽花 「なんで」
蓮太郎 「切見世に厠なんてありませんよ」
杏   「じゃあ、この臭いって・・・」
蓮太郎 「客も女郎も外で垂れ流しです。夏や雨の日などはもっと酷い臭いですよ」
杏   「犬畜生の方がまだマシじゃないか!」
蓮太郎 「でしょうね」
紫陽花 「もうさ」
蓮太郎 「なんでしょう」
紫陽花 「もういっそ! 殺してくれよ!」
杏   「紫陽花!」
蓮太郎 「いいですよ」
杏   「あんた! 途中で死なせるなって女将に言われてたじゃないか!」
蓮太郎 「へたり込んで震えてるだけかと思ったら、ちゃんと聞いていたんですね」
杏   「紫陽花殺したら! あたしも死んでやる!」
蓮太郎 「ご安心ください。殺す時は二人まとめて殺します。あなた方はもう華屋の女郎ではない
    名前もない見世の鉄砲女郎だ。この界隈で女が一人二人死んでいたって誰も何とも思わない」
紫陽花 「そんな・・・」
蓮太郎 「憐憫の情もありません。何で死にたいですか? 短刀で首を切りますか? 心臓に刺しましょうか
    こういう、十手という武器で殴り殺す事も出来ます。それとも、短筒で撃ちましょうか」
杏   「あ・・・」
紫陽花 「や・・・、いや。助けて。もう、助けて」
蓮太郎 「死ぬ覚悟もない癖に、簡単に殺してくれなどという物じゃありませんよ
    楼主、華屋の蓮太郎です」
楼主  「おぉ、ありがとさんよ! 華屋の女郎ってんで男共が待ってんだよ。お、この二人かい
    奥の部屋入って仕事始めな!」
杏   「そんな、すぐに」
紫陽花 「まだ、何にも教えて貰っちゃいないじゃないか?!」
楼主  「そんなモノはやりながら覚えな!」
蓮太郎 「では、失礼します」
楼主  「さっさと部屋に行くんだよ! 客待たせてんじゃねぇや! この愚図!」

 

百合  「ガハッ! ゲホッ、ゴホッ、ん、ぅぐ・・・、ゲェ・・・、はぁ、は・・・っ」
和仁  「あや!?」
百合  「・・・っ?! か・・・、ず、ひと、様?」
和仁  「何をやっているんだ、こんな所で! こんな、お歯黒溝で」
百合  「・・・っ」
和仁  「すぐ、そっちに行く」
百合  「ダメ! 着物が濡れちゃう!」
和仁  「何言っているんだ! あや、君がびしょ濡れじゃないか」
百合  「和仁様、どうしてここに・・・」
和仁  「その話は後だ。とにかく岸に上がろう。・・・っ?! あや?」
百合  「放っといて」
和仁  「一体・・・、一体何をする積もりだったんだ! こんな、袂や袖に・・・、帯の中にまで石を詰め込んで!」
百合  「聞かないで! 放っといて!」
和仁  「入水する積もりだったのか!」
百合  「・・・っ!」
和仁  「どうして!!」
百合  「もう、和仁様はあたしの事なんか忘れて、遊郭には二度と来ないで」
和仁  「そんな訳には行かない。約束をした筈だ。私はいつでもあやを待っていると」
百合  「待たないで! 待ったりなんて・・・、しないで。あたしは和仁様の所には行けない」
和仁  「どうして? 他の男に心を遣った?」
百合  「違う!」
和仁  「じゃあ、訳を教えてくれ!」
百合  「・・・、和仁様が好き。だからこそあたしは和仁様の所には行けない」
和仁  「意味が判らない。あや、体が凍りつきそうだ、頼むから上がって華屋に戻ろう」
百合  「戻れない」
和仁  「・・・っ!」
百合  「いや! 降ろして! このまま放っておいて!」
和仁  「断る。このまま華屋に連れて行く」
百合  「いや! イヤ! ・・・もう、死なせてっ!」
和仁  「訳なら華屋で聞く」

 

女将  「お粗末な湯を使わせて申し訳ありませんでした。伊集院様」
和仁  「いや、代わりの着物まで用意して戴いて助かります」
女将  「お歯黒溝に、身を沈めた、と」
和仁  「せいぜい腰くらいまでしかない水かさで死ねる筈はないが、今時期は寒くて凍えてしまう」
女将  「お助け戴き感謝いたします」
和仁  「女将」
女将  「・・・、あたしの口からは何も申し上げられませんよ」
和仁  「揚屋で聞いたんだ、百合はお職を降りてもう女郎ではなくなった、と」
女将  「そうですね。百合を買う事はもう出来ません。伊集院様には大変申し訳ありませんでした」
和仁  「なら、身請けを出来ないか」
女将  「座敷の理をご存知ならそれは愚問でございましょう。見世に出していない妓は買えません」
和仁  「あやを、連れ帰りたいのです」
女将  「それは、あの子と話したのでございましょう? あたしが口を挟む問題じゃありません」
和仁  「女将からも説得をして欲しいのです
    隠し事があるならそれでも構わない、時が来れば話してくれることもあるでしょう。待つ事には慣れていますから」
女将  「説得はしてみますよ。ですが、期待に応える事は出来ないかもしれません
    それだけご承知いただけるんなら」
和仁  「勿論です。決めるのはあやですから」
女将  「着物は洗って乾いたらウチの若衆に届けさせますよ。今日はもうお引き取り下さい」
和仁  「・・・、女将。あやをよろしく頼みます」
女将  「まだ、伊集院様に頼まれる謂れはありませんよ」

 

蓮太郎 「百合花魁、失礼します。凄い音がしましたがどうされました」
百合  「ゲホッ、ゴホッ・・っ、れん、たろ・・・」
蓮太郎 「・・・っ? 首に紐? ・・・、・・・。百合花魁、首を吊ろうとしたんですか?」
百合  「あ、はは。紐が、細過ぎて切れちゃった、は、はは・・・、・・・っ」
蓮太郎 「木綿のこんな細い紐では重さに耐えきれませんから切れます
    もし本当に首を吊って死にたいなら絹で出来た帯紐が一番丈夫です」
百合  「れ・・・」
蓮太郎 「死にたいのでしょう? ですから死ぬ為のご指南を」
百合  「死、にたい・・・、けどっ、怖くて、死ね、ない」
蓮太郎 「でしょうね。恐怖心が無ければ女郎などみんな死んで遊郭など成り立ちません」
百合  「でもっ! 生きるのも辛い! 怖い」
蓮太郎 「では、どうしますか?」
百合  「蓮太郎は、容赦ないね」
蓮太郎 「このまま放置すればあなたは何度も死のうと試み、全て失敗していずれ騒ぎが大きくなります」
百合  「迷惑になるもんね、お母さんにも心配かけるだろうし」
蓮太郎 「生きて欲しい、そんな無責任な事は俺には言えません」
百合  「蓮太郎?」
蓮太郎 「あなたは椿が育てた大切な妹で、俺も情がないかと聞かれれば違います
    俺の裏稼業も知りながらあなたは女将に何も言わない
    おそらく、女将の内情も俺より詳しく知っているでしょう。でもあなたは何も言わない」
百合  「あたしには責任の取れる事じゃないもの。それに、二人にはそれぞれの矜持がある。蓮太郎にも、女将にも
    あたしが興味本位で立ち入っていい問題じゃない」
蓮太郎 「思慮深い百合花魁を俺は嫌いじゃありませんでした」
百合  「あたしは友達だと思ってた」
蓮太郎 「そう、かもしれませんね。『死ね』とも『生きろ』ともどちらも責任を取れないから言えない」
百合  「世話を掛けて、何も恩返しが出来ないままなんて椿姐さんに怒られちゃうね」
蓮太郎 「ですが、俺はもし責任の無い言葉を言ってもいいなら『死んで欲しくない』」
百合  「ありがとう・・・。ねぇ、蓮太郎。じゃあ、あたしのお願いを聞いてくれるかな」
蓮太郎 「・・・、断りたいです」
百合  「蓮太郎にしか、頼めないの」
蓮太郎 「知っています」
百合  「きれいなまま、死にたいの」
蓮太郎 「頼めるのが俺だけだったとして、拒否する権利は?」
百合  「あたしを、ころして」
蓮太郎 「・・・っ、・・・、はい」
百合  「ありがとう」
蓮太郎 「ですが、少しだけ、時間を下さい。心の整理をしたいです」

 

蓮太郎 「お律さん」
女将  「蓮太郎、どうしたんだい」
蓮太郎 「今晩、百合花魁との約束を果たします」
女将  「約束・・・、って?」
蓮太郎 「お伝えする事はそれだけです」


蓮太郎 「百合花魁」
百合  「蓮太郎」
蓮太郎 「顔色が優れないようですが」
百合  「・・・、下腹部にね、赤い斑点が出来てた」
蓮太郎 「そうですか」
百合  「きっと一度は消えるんだろうね」
蓮太郎 「おそらく」
百合  「どの位で消えて、どの位で再発して、どの位で・・・、死ぬの?」
蓮太郎 「判りません」
百合  「痩毒なんて下級女郎の掛かる病気だって軽く見てた」
蓮太郎 「華屋の花魁は余り掛かりませんから」
百合  「遣り手とお母さんが客を選ぶから。下級女郎と遊んでたなんて過去を持つ男は絶対に見世に登楼らせなかった」
蓮太郎 「そうして、華屋は成り立っています」
百合  「きっとこれからもそう」
蓮太郎 「はい」
百合  「なんで?」
蓮太郎 「俺には、判りません」
百合  「なんであたしが! 痩毒になったの?! どうして?! どうしてあたしなの?!」
蓮太郎 「済みません、判りません」
百合  「死にたくないよ! 生きていたい! ・・・、でも生きるのも怖い。身体の内側から腐って行くんだよ?
    ねぇ、蓮太郎いつかはこの斑点が体中に拡がって、顔にも出来て!
    腫れ上がって醜く崩れ落ちて鼻が取れて、頭がおかしくなって死ぬんだよ!」
蓮太郎 「はい」
百合  「蓮太郎・・・、約束を守りにきたの?」
蓮太郎 「はい」
百合  「そっか」
蓮太郎 「どうぞ。葛湯です」
百合  「毒が入っているの?」
蓮太郎 「いいえ。入っているのは眠り薬です」
百合  「本当は、斑点なんか出来る前に死ねばよかった」
蓮太郎 「まだ、百合花魁はきれいですよ」
百合  「ありがとう」
蓮太郎 「意識がはっきりしていると怖いでしょう。ですから朦朧とした頃に約束を遂行します」
百合  「・・・、怖い」
蓮太郎 「はい」
百合  「飲めない、怖い」
蓮太郎 「そうですか」
百合  「椿姐さんに謝らなきゃ」
蓮太郎 「何を?」
百合  「飲ませて」
蓮太郎 「・・・、はい」
百合  「・・・んっ、っくん・・・。ごめんね」
蓮太郎 「いいえ」
百合  「あたし、弱いね」
蓮太郎 「いいえ、弱くなどありません」
百合  「牡丹姐さんみたいに最後まで病気と闘う強さも、椿姐さんみたいに潔く自決する強さもない」
蓮太郎 「人として生きるのであれば、百合花魁の様な感じ方が本来あるべき姿でしょう」
百合  「くす、今蓮太郎、椿姐さんの事考えたでしょう?」
蓮太郎 「・・・どうして?」
百合  「蓮太郎自分で気付いてないの? 椿姐さんの事考えてる時の蓮太郎は信じられない位優しい顔するの」
蓮太郎 「自分では判らないものですね」
百合  「本当に好きだったんだね」
蓮太郎 「はい。今でも」
百合  「椿姐さんが羨ましいよ」
蓮太郎 「百合花魁は伊集院様に愛されているじゃないですか」
百合  「うん。あたしも好き・・・。好きだった、優しくて思い遣りがあって年季明けを待って身請けしてくれるって
    叶うならお母さんに全部の恩を返して、全部きれいにして和仁様と生きて行きたかった」
蓮太郎 「思い留まるならまだ間に合います」
百合  「ううん、痩毒なんてうつしたくない」
蓮太郎 「中見世や小見世に通う男にとって、痩毒は粋人の証だそうです」
百合  「馬鹿な男達だね。こんな病気掛かったっていい事なんて一つもないのに」
蓮太郎 「俺にもその気持ちは判りません」
百合  「遊郭の人間は、女郎も客もみんなどこかおかしいよね」
蓮太郎 「そうですね。きっと俺もおかしいんでしょう」
百合  「蓮太郎は、どっかおかしくならないと生きて行けないでしょう?」
蓮太郎 「果たさなければならない事があります」
百合  「知ってる。椿姐さんの遺言でしょ?」
蓮太郎 「それだけじゃありません」
百合  「色々、抱えて来たんだね」
蓮太郎 「・・・はい」
百合  「辛くなかった?」
蓮太郎 「いいえ。椿が、居てくれたから」
百合  「椿姐さんは凄いね」
蓮太郎 「何が?」
百合  「どこの女郎がどんなに言い寄っても絶対に堕ちなかった蓮太郎をここまで惚れさせる、なんて」
蓮太郎 「今更、どこの女も興味ありませんよ」
百合  「お針子さんだってみんな蓮太郎狙ってたよ」
蓮太郎 「興味ありません」
百合  「ふふっ。ねぇ蓮太郎」
蓮太郎 「はい」
百合  「椿姐さんが自害した日の前日、蓮太郎と椿姐さんがいなかった
    あの日・・・、蓮太郎はちゃんと思いの丈を伝えられたの?」
蓮太郎 「・・・」
百合  「応えたくないならいいの、ごめんね無粋な事聞いちゃって」
蓮太郎 「椿を抱いた」
百合  「・・・っ、そっか。そう、そうなんだね、良かった」
蓮太郎 「無理矢理でも足抜けする積もりで抱きました」
百合  「じゃあ、命掛けて椿姐さんは蓮太郎を守ったんだね」
蓮太郎 「俺が実力行使で連れ出す事なんか、椿は当たり前の様に気付いていたんだと思う」
百合  「逃げられないものね」
蓮太郎 「死んでもいいと思った。連れ出せるなら、その先で椿と一緒に死ねるなら、と」
百合  「あたしなら、どうしたかな・・・、・・・っ、ん・・・」
蓮太郎 「百合花魁?」
百合  「・・・、眠たく、なって・・・来た」


女将  「約束を果たす? 百合との?」
正臣  「女将さん、どうしたんですか?」
女将  「あぁ、正臣。蓮太郎を見なかったかい?」
正臣  「蓮太郎さんを? それなら百合花魁の見舞いに行くと」
女将  「百合の?」
正臣  「葛湯を持っていました。身体を暖める為でしょう」
女将  「葛湯? ・・・、まさか」
正臣  「どうしたんですか?」
女将  「葛湯作る時に何か入れていなかったかい?」
正臣  「それは、料理番に聞かないと。まさか毒を盛ったりはしないでしょう」
女将  「何か様子がおかしいとか、無かったかい」
正臣  「いえ、いつもと変わりませんでした。そう言えば水桶を持ってはいました。何に使うんでしょう?
    女将?! どうしたんですか?! 何かあったんですか?!」
女将  「百合の所に行くんだよ!」
正臣  「え」
女将  「付いといで!」
正臣  「は、はい」
女将  「約束、何の約束だか知らないけど嫌な予感がする」
正臣  「蓮太郎さんに限って変な事は」
女将  「なんでもする男なんだよ! 蓮太郎は!」
正臣  「どういう事、ですか」
女将  「投げ込み寺近くの雑木林で紫苑の遺体が見つかったろう?」
正臣  「そ、それは、足抜けした紫苑さんの落ち度で」
女将  「誰が足抜けを手伝ったと思っているんだい! 一人で出来る事じゃない!」
正臣  「まさか、蓮太郎さんが? でも、連れ出して?」
女将  「おそらく、蓮太郎が連れ出して殺したんだよ!」
正臣  「・・・どうして」
女将  「蓮太郎の考える事は飛び抜けてる。なんでだかはあたしだって判らないよ」
正臣  「百合花魁がいる奥座敷です。・・・っ?!」
女将  「どうしたんだい」
正臣  「開かない」
女将  「なんだって?!」
正臣  「内側からかんぬきで止めているようです!」
女将  「なんだって?! 蓮太郎! いるんだろう! ここを開けな!!」


百合  「んっ・・・ぅ、れん・・・」
蓮太郎 「きれいなまま死にたいと、そう言いましたね」
百合  「ぅ・・・、ん」
女将  「蓮太郎!! ここを開けな!」
蓮太郎 「首吊りも溺死も決して遺体はきれいではない」
百合  「・・・ん」
蓮太郎 「刃物で傷を付けるのも嫌でしょう」
百合  「・・・、ん、・・・い、や」
蓮太郎 「この方法が一番きれいに死ねます」
女将  「蓮太郎!! ここを開けな!! 百合に変な真似したら許さないよ!!」
蓮太郎 「半紙を濡らして口と鼻を塞ぎ窒息させる」
女将  「蓮太郎!!」
百合  「眠、たいの・・・、れん、・・・たろ」
女将  「あんたと百合が何の約束をしたって言うんだい! 蓮太郎!!」
蓮太郎 「休めますよ。すぐに」
百合  「・・・っ・・・。・・・、・・・んっ!!」
女将  「百合を!! 百合に手を出すんじゃない! あの子はあたしの!!」
百合  「ぅんん!! んっ! んーーーーっ!!!!」
蓮太郎 「苦しいのはすぐに終わります!」
女将  「正臣! 斧を持ってきな!」
正臣  「は、はい!」
百合  「んーーーっ!! んっ!! んんんっ!」
蓮太郎 「大丈夫です、こうして抱き締めてしまえば逆らえない。死ぬ事を躊躇わずに済みます」
女将  「蓮太郎! 開けるんだよ! ここを!! 開けなーーっ!!」
百合  「んんんぅっ! んーーーー!!」
蓮太郎 「殴っても、引っ掻いてもいいですよ。傍にいます。安心して眠れるまで!」
百合  「んっ! んんん!!」
蓮太郎 「あなたは素晴らしい花魁でした。心映えも覚悟も決して牡丹花魁や椿に引けは取らなかった」
女将  「百合を殺さないで!! 蓮太郎! 殺すんなら・・・、殺すんなら代わりにあたしを殺せぇえ!」
百合  「んーっ! んーっ!」
女将  「蓮太郎!!」
蓮太郎 「女将さんも、傍にいます。聞こえますか?」
百合  「んっ! ぐぅ! んんっ」
蓮太郎 「俺が、あなたの業も椿の業も全てここで果たします」
百合  「んぅぅぅっ!! っ、んっ! ・・・、ぅ」
蓮太郎 「もう、楽になってもいいですよ」
百合  「・・・っ、・・・」
正臣  「斧を持って来ました! 扉を破ります!」
蓮太郎 「誇らしい生き様でした」
女将  「れんた・・・っ!! 百合!!」
正臣  「んなっ、・・・蓮太郎さん」
蓮太郎 「終わりました」
女将  「百合? ・・・ゆ」
正臣  「・・・蓮太郎さん? 何故」
女将  「百合? 寝てるだけだよね? 百合?」
蓮太郎 「正臣、後で事情を話す。今は席を外してくれ」
正臣  「・・・、はい」
女将  「百・・・、合? 百合。・・・、・・・、蓮太郎!!」
蓮太郎 「はい」
女将  「なんで! なんで百合を殺した!」
蓮太郎 「約束をしました。きれいな内に殺してくれ、と」
女将  「・・・っ、そ・・・、そ、んな約束を守る必要がどこにあったんだよ!」
蓮太郎 「どうして、判ってあげないんですか!
    あなたに醜い姿も落魄れた姿も見せたくなかったという百合花魁の気概を!」
女将  「・・・っ」
蓮太郎 「鼻が取れ、梅毒が頭に回って、呂律が回らなくなり醜く崩れ落ちる姿を百合花魁に晒させたかったんですか!」
女将  「だからって、何も、こんなに早く、なくても」
蓮太郎 「死ぬのには覚悟が要ります。長引けば決心が鈍る・・・」
女将  「だから、あんたに、頼んだってのかい」
蓮太郎 「そうでなければ、誰がこんな事をしますか!」
女将  「百・・・、合? あんた・・・、死にたか」
蓮太郎 「お律さん、百合花魁は誰よりもあなたを大切に思っていました」
女将  「なんだよ、それ! 大切だって言うならもっとしなきゃならない孝行があるだろうが!
    百合! なんで、なんで・・・、あたしも一緒に連れて行かなかったぁ!! 百合ぃ!!」
蓮太郎 「あなたの矜持を共に大切にしたいと、百合花魁は常にそう言っていました」
女将  「こんな、こんな残酷な事があるかい! 百合! 百合ーーーーーっ!!! うあああああああああ!!!!」

 

 

正臣  「女将さん」
女将  「正臣かい」
正臣  「あの、気落ちしている所申し訳ありません」
女将  「誰が気落ちしてるって?」
正臣  「女将、さん」
女将  「あたしは若山総名主、女郎一人失ったからとここで崩れる訳に行かないんだ」
正臣  「俺は! 俺には、理解できません」
女将  「そうかい、じゃあ、若衆を辞めて娑婆で生きな」
正臣  「そんな」
女将  「蓮太郎を見損なったかい?」
正臣  「・・・っ」
女将  「あたしを見損なったかい」
正臣  「何故! 百合花魁を死なせたんですか!」
女将  「お前、蓮太郎から事情を聞いたんじゃないのかい」
正臣  「聞きました! けど納得できません!」
女将  「何が納得できていない?」
正臣  「もう少し生きていればどこかいい医者を探してきて、治す事も出来たんじゃないんですか?」
女将  「そうして、周囲の勝手な期待で百合が醜く崩れ落ちるまで苦しませるのがあんたのやり方かい?
    そんならさっさとこの見世出て他で働きな!」
正臣  「・・・っ!!」
女将  「蓮太郎が見込んだというから期待したけどとんだ見当外れだったね」
正臣  「・・・短慮で、余計な事を言って済みませんでした」
女将  「もっと平常心を養いな。で、何の用だい」
正臣  「あの」
女将  「言いにくい事かい」
正臣  「伊集院様が、お見えです。客間でお待ちになっています」
女将  「判った、すぐに行くよ」

 

 

和仁  「今朝方早くに、華屋の若衆と名乗る者から手紙を受け取った」
女将  「そうですか」
和仁  「百合花魁の身請けをしたい」
女将  「は?」
和仁  「金で方を付けるしか能の無い馬鹿な札差をどうぞ嗤ってやって下さい」
女将  「百合は、もう」
和仁  「知っています」
女将  「ならなんで」
和仁  「せめて、私の女房として、大門の外で葬儀を執り行わせて欲しいのです」
女将  「内儀さんとして、って・・・」
和仁  「どうか! この我儘だけ、一度だけお聞き願えないか!」
女将  「・・・、頭を上げて下さい。大の男が忘八に頭なんて下げちゃいけない」
和仁  「では」
女将  「体裁がありますからね。身請け金は受け取ります」
和仁  「ありがとう、ございます」

 

 

蓮太郎 「伊集院和仁は百合花魁を棺桶に入れる事なく自ら抱きかかえて遊郭を出た。
    百合花魁の胸に組まれた両手には数珠と大門切手が握らされていた。

紫陽花 「いやああああ! 杏! 杏! なんで首を括ったりなんか! なんで死んじまったんだよ! 杏ぅ!」

蓮太郎 「大門切手、小さな木片に『女壱人』と墨で書かれたそれを手にして大門をくぐる事の出来る女が
    女郎二千人と言われるこの若山の中で一体どれだけいるだろうか」

紫陽花 「ふ、あは、あはは、ははははは! ねぇそこの色男ぉ、あたしと遊んでいきなよぉ
    時間も金も掛からないよ? 一ト切100文。ねーえぇ、安いだろぉ、ふふ、あははは」

蓮太郎 「その僅か半年後、伊集院和仁は店を親戚に預け仏門をくぐったという
    幕府公認若山遊郭、男にとってそこは金で極楽の夢を見られる場所
    女にとってそこは――――――・・・。