花魁道中いろは唄~朗読台本~ 『華と勇』1話 ♂×1 ♀×1 / 白鷹

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所要時間:30分程度
利用規約をお読みいただきご利用下さい。

2019/3/2 利用規約を改訂しました。必ず読んでから上演をお願いいたします。

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「お、ありゃあ華屋の牡丹じゃねぇか」

遠くの方から野次が飛ぶとざわざわと周囲に人々が集まってきんした。

五月雨の上がった青天の朝、藤姐さんは年季明けを迎えて大門(おおもん)をくぐり遊郭から出て行きんした。

ふた月経った七夕の前日、あっちは華屋のお職として、紋日に仲ノ町張りをすることとあいなりんした。

初めての仲ノ町張り。煙管を持つ手も震えるほどの緊張が体中を駆け巡りんす。

この蒸し暑い日が続く中、静かに冷や汗をかいているなど、なんともお笑い種ではありんせんか。

藤姐さんを見送ったあちきは十七という若さでこの若山の頂点を取る事になりんした。

本来ならば年嵩も二つ上の菖蒲がお職を継ぐ、と思っておりんした。が、菖蒲は八文字を踏めず教養が低く、匂い立つ様に美しい容貌は道行く殿方の心をざわめかせるだろうに、華屋の楼主(おやかた)は常々菖蒲の学の無さを悔やんでおりんした。

曇天の空、毎年七夕ははっきりしない天気の方が多い。雨が落ちて来る事も珍しくはありんせん。

なんでも、巷では彦星が牛車を洗う為に雨が降るのだと言われているらしいが、紋日の雨など有難くないのだからもっと前もって会う支度を始めて欲しいものでありんす。

張見世のない大見世、華屋の花魁を見られるとあってか次第に周囲に人が集まって来んした。

口々に天女だ、弁天だ、有難い、と持て囃されるもあっちの緊張は張り詰めて、事無く時が過ぎ去るのをただ願うばかりでありんした。

 

大門(おおもん)横にある五右衛門会所には町方の女達で賑わっていた。

五右衛門会所は遊郭に入った女が大門(おおもん)を再び出る為に必要な大門(おおもん)切手を発行している唯一の詰所だ。万が一にでも大門(おおもん)切手を持たぬまま大門(おおもん)をくぐれば、女郎と間違われ二度と遊郭からは出られぬ身となる。年嵩の行った老婆ならいざ知らず、年頃の女達が遊郭に入ろうと思ったなら決して避けては通れぬ手続きだろう。

だが、この賑わい様はなかなか見ない光景だ。

「よぉ、文太。女に囲まれていい身分じゃねぇか」

いつもは暇そうに欠伸をしている文太をからかいがてら声を掛けるが忙しそうに切手を発行している文太は迷惑そうに俺を見て舌打ちすると

「松川屋の。悪ぃが今日はあんたの相手はしてやれねぇよ」

そういってまた帳簿に目を落とすと長蛇の列を作る女達に切手を渡し始めた。

文太をからかうのをあきらめた俺は大門(おおもん)をくぐって芋洗いのたらいの様な遊郭へと足を踏み入れた。

昼の仲ノ町なぞ素見(ひやかし)か懐の寂しい武士しかいないいつもの景色と違い、一歩踏み出せば人とぶつかるような有様だ。

そこかしこに若い女の姿を見掛けるが、女郎を見慣れていると町方の娘なぞ大根かかぶの様にしか見えない。

果たして目が肥えるのは良い事なのか悪い事なのか。

馴染みにしている茶屋の暖簾をくぐって冷えた茶の一杯でも飲もうかと思うが、いかんせんどこもここも人だらけで落ち着けたものじゃない。

とはいえ目抜き通りに出た所で同じなら少し座って人の波が引くのを待つしかない。

店の亭主に茶を頼んで、今日はどうしてこんなに人がごった返しているのか聞いてみると

「惣一郎さん、知らないんですか」

と分厚い唇を歪ませて笑う。「今日は紋日ですぜ」そう言いながらぎやまんの器に入った茶を出す。

はて、紋日は明日ではなかったか? そう疑問に思ったのを亭主はすぐに悟ったのだろう。

俺が質問するのを待つ事なく得意げに語る。

「大きな紋日は前日も祝うんでさぁ」

なるほど、そういう事か。遊郭とは未だに底の知れない大きな娯楽場だ。

「特に今日は華屋の新お職が仲ノ町張りをしてるってんでこの人ですわ」

髭の剃り残しを気にしているのだろう、顎をさすりながら茶屋の亭主は、うんうんとしたり顔で続ける。

華屋の新お職。

そういえば二月ほど前に割と長く務めた藤花魁が年季明けを迎えて大門(おおもん)を出て行ったと聞いた。

大層な美人だったと随分と噂が流れたものだが、なぜか食指が動かず結局一度も見ないままだった。

その後釜と言うなら相応に美人なのだろう。

見ておいて損はないか、そう思いぎやまんで出来た空の碗と3文を置いて茶屋を出た。

後ろから亭主が「今日は登楼らないんですかい?」そう呼ぶ声が聞こえたが、振り向くのも面倒でそのまま仲ノ町の人混みに紛れる。

 

仲ノ町張りは大見世の特権だ。

今の所、華屋に続き角名賀楼と手毬屋はたまに見世の一番売り出しの花魁を出す。

たまにしか出さないのは花魁道中と同じく、相応の費用(かかり)がいる為だろうと勝手に考えている。

やんややんやと賑わう人混みを掻き分けて張り場に行くとそこには美しい女が座って煙管を吹かしていた。

が、どうだろう。何か違和感を覚える。

美しいのだ。

それは間違いない。

「おい、そこの女」

 

『そこの女』

後にも先にもそんな不躾な呼ばれ方をしたのは初めてのことでありんした。

朗々と響くその声に周囲を取り巻く見物人が束の間、しんと静まり返りんしたが、どうせ大見世に登楼れやしない素見(ひやかし)を気に掛けたとあっては見世の評判に関わりんす。

煙管の雁首を煙管盆に叩き付けて煙草の灰を落とすと、手元に持ってきた紙を広げんした。

「お前ぇだよ、そこの女!」

再度声を掛けられるもののあちきには返事をする義理もありんせん。

「おい、お前ぇつんぼか」

余りに酷い物言いに頭の奥にある細い糸がぷつりと音をたてて切れんした。

元々あちきはそれほど気の長い性質でもありんせん。極度の緊張に加えこの物言い。

一旦腹立ちを何とか収め、どこの町方商人か貧乏武士か判らぬが、生涯縁(えにし)を持つことなど出来ない高嶺の花でもある顔を神仏の如く拝むがいいと、とっておきの勝負笑顔を浮かべゆるりと振り返りんした。

「なんぞ、お呼びになりんしたか?」

と自分の中でも飛び切りの美しい声を沿えて。

素見(ひやかし)の男かと思いきや随分上等な着物を着た男でありんした。正絹(しょうけん)の豪華なあしらいの着物。洒落た着崩し。

帯も粋な締め方をした伊達男。すらりと背の高い男前、あちきともあろうもんがしばし見惚れてしまいんした。

「お前ぇ、随分とみっともない着物の着方してんな」

男はしたり顔で嘲笑的に言いんした。

「んな?!」

 

「ガッチガチに締め付けて苦しそうな顔して、そんな顔で男が釣れるもんか」

こめかみに血の筋がすっと浮かび上がるのはなんとも面白い光景ではないか。

さぁ、これからどうからかってやろう。

「その胸元、なんでぇ? 羽子板でも詰めてんのか? あぁ、胸が貧弱だから盛ってるのか、不憫なこった」

ここまで悪し様に言う必要もないが、胸元が苦しそうなのはすぐに判った。

 

「これは・・・」

苦しいのは本当だが何もその理由をこんな所で暴露するいわれもこの男に教える義理もありんせん。

「着付けの道理も知らん素人でありんしたか、不憫なのはどちらでありんしょうな」

こみ上げる怒りを無理矢理に飲み下して艶笑を浮かべんす。

男とは関係ない別の男達の溜息や歓声が聞こえんしたがそんなもんはもうどうでもいいでありんす。

 

逆上する様を楽しもうと思ったがさすが大見世のお職、簡単に自身の誇りは投げ出さない、か。

これはこれで面白い。

「お前ぇ、名前は」

 

「はん、文盲(もんもう)でありんすか、そりゃあ難儀でありんすなぁ。精々詐欺に騙されんようお気をつけなんし」

そもそも垂れ幕に名前が書いてあるものを聞いてくる阿呆に、これ以上気を乱してなるものか。

「牡丹、か。百華の王が安い駆け引きしてんじゃねぇよ。まぁいい、名前は覚えた。じゃあな。」

なんだあれは。素見(ひやかし)にしても性質が悪い。とはいえいつまでも気にしていた所で詮無き事。

張り台を畳ませてあっちは見世に戻ろうと若衆に声を掛けんした。

すっと通った鼻梁に切れ長の双眸、よく通る声が印象的に感じたのは気のせいだ、と思うことにして。

 

 

 

 

華屋は若山一の大見世だ。大見世と格付け出来るのは、最も古い創業を誇る角名賀楼と創業新しくも建屋の大きさと美女揃いだと誉高い手毬屋。その中央にどんと構える華屋の外観は他を威圧するには十分な風貌だ。

昼見世真っ只中の時間、広い玄関に掛けられた暖簾をくぐる。

早々に遣り手婆がどこから来たか、茶屋を通していない客は通す訳には行かないなどと捲し立てるが知ったこっちゃない。

「牡丹という女の部屋はどこだ」

と聞くと面食らったような顔をして更に騒ぎ立てて楼主(ろうしゅ)を呼びに行く。

「二階に上げるんじゃないよ!」

と近くにいた若衆に声を掛けて慌ただしく内証へ消える。見世の造りなどどこも同じ、ならばお職の部屋は二階の一番奥だ。妓夫(ぎゆう)を振り払い、前に立つ若衆を退かせて二階の奥へ進む。

階下では大騒ぎだ。

当たり前だろう、茶屋も通していないのだから客の扱いではなくただの狼藉者だ。

早々にあの女の部屋を見つけなければ腕の立つ妓夫(ぎゆう)に取り押さえられるだろう。

二階に上がってつるりと周囲を見渡すとすぐに女の部屋は見つかった。

お職と言えば座敷持ち、ならばあの座敷の両側のどちらかが私室だろう。

幸い寝間に繋がる襖が開いていたため反対側が私室だということもすぐに判る。

俺は私室の襖を勢いよく開け放った。

 

「は?」

あちきには何が起こったのかさっぱり見当もつきんせんでした。

昼見世など素見(ひやかし)か貧乏侍がうろついているだけだから夜のおきちゃに備えて念入りな支度を整える為、襦袢のまま着物と仕掛を着付け師と共に選んでおりんしたから、今時分に部屋に来るなど遣り手かお母さんくらいの物だろうと思って、開いた襖の真ん中に立つ人を見上げれば、数日前の失礼な素見(ひやかし)の男ではありんせんか。

男は上から下まで視線を流すと顎に手を当てて何やら考え込んでおりんす。

「おんし、誰の許しでここにおりんすか」

呆れて気の抜けたような問いかけになるのも致し方ない。

「お前さんの着物の着方があんまり気に入らなかったから着付けてやろうと思ってよ」

訳の判らない男は訳の判らない事をさらりと口にしんす。

「あちきの着物の着方が気に入らない? そりゃあまぁ何とも失礼な物言いでありんすなぁ」

ましてや華屋専属の着付け師の前で、着付け師が気分を害したのではないかと肝に冷や水を流し込んだ気分になりんした。

案の定、着付け師は皺の寄った顔に更に厳しい皺を刻んで、男の無礼をなじり倒しておりんす。

だが、男は全く聞く耳を持たず、あろう事か小指で耳をくるくるとかき混ぜると、指に息を吹き掛けんした。

「出て行ってくんなんし。わっちの顔を拝みたければ茶屋を通して来なんせ」

「まぁ、いいや」

全く良くない。断じて良くない。早く出て行け。

「そこのババア、着付けってのはこうやるんだよ。老いて上がらなくなった瞼かっぴらいてしっかり見な」

余りの無礼すぎる言葉にわっちは二の句を継げなくなりんした。

そんなわっちを尻目に男は袂(たもと)から襷(たすき)を引きずり出して肩にかけると手際よく右肩で結びんした。

この男は・・・。

仲ノ町で見た素見(ひやかし)の顔はすっかり成りを潜め、わっちを見据える眼光が鋭くなりんした。

わっちの顎を捕えて首に手を掛けると一言。

「解くぞ」

そう言って、先程に着付けた貰った着物をするすると脱がし始めんした。

余りに自然なその手付きに呆然として、わっちは肌襦袢一つにされるまで何も言えんせんかった。

気が付くと、肌襦袢の紐を解かれてはらりを合わせが崩れんした。

「きゃあああああああ!!!」

驚く程の金切声が己の喉を通って放たれてしまいんした。

「なんでぇ、生娘でもあるめぇにそんな頓珍漢な悲鳴あげんじゃねぇよ」

耳に立ったのだろう、男は片目を瞑ってわっちをなじる。

「ほぉ? 見事な胸だな。仲ノ町張りん時は済まねぇ事を言った」

不躾な男が、素直に謝罪しんした事に驚きんした。この男にも謝罪の心があるらしい。

「肌襦袢からダメだな。苦しそうな顔してたのはこのせいか」

実を言えばわっちは着物があまり好きではありんせんかった。新造の頃から胸や腰元などが大きくなり、着付け師を悩ませたのが大きな理由と言えんしょう。

男は下の方からぐいっと肌襦袢を手繰り寄せると一言。

「今度から襦袢も着物も全部身の丈より一尺五寸、長く作って貰え」

「え、な、なんででありんすか?」

たくし上げた襦袢を胸の下で締める。

「ちょ、なんて着せ方をしんすか。胸が見えちまうじゃござんせんか」

「見せてやるんだよ」

は? 何を言っているのだ、この男は。

「いいから黙って見てろ。背筋伸ばして。胸が大きいのを隠そうとして猫背になってるぞ」

身も蓋もない。そして歯に衣着せぬというか大胆というか破廉恥な事を平気で言いんす。

もう、どうにでもなれと思って様子を見る事にしんした。この男の着付けが気に入らんかったなら、着付け師に直して貰うだけでありんす。

 

町方の嫁入り前の女にこんな着物の着せ方はしない。

首元の骨にぴたりと襦袢を重ね、衿(えり)は控えめに抜く。それが控えめで上品な着物の着付けだ。

だがこいつは堅気ではない。

男に肌を売る女だ。

蔑んで物を言う訳でなく、こんなに見事に男の目をくらませる様な色っぽい体を隠し立てしてたんだと、着付け師のババアを本気で罵ってやりたい気分だった。

「あぁ、そこのババア。腰紐もう一本よこせ、その細いのでいい」

上から赤い襦袢を着せ付けると肌襦袢の衿(えり)の長さに合わせて胸の下で締め、仮で止めていた肌襦袢の腰紐を引き抜く。

こうする事で掛け衿(えり)が緩みにくくなる上にきちんと重なってずれを防ぐ。

「針と糸。・・・、ちっ、ババァ目ぇ見えてんのか、遅い」

目を細めて針に糸を通そうとするのを待っていられずに奪い取ってさっさと通すと、己の袖(そで)口に留め置いて肩のなだらかな曲線にそって後ろに大きく衿(えり)を抜く。肌襦袢と長襦袢の掛け衿(えり)を揃えて伊達衿(えり)を軽く縫い留めると胸元を丁寧に重ねて大きく開ける。

「どうだ、苦しいか」

「い、いえ。けんど、こんな着方は、恥ずかしいでありんす」

「堅気の女じゃあるめぇ」

「う」

「男に色売るんなら自分の体をきっちり見せ付けてやれ。大見世華屋のお職は素晴らしい身体を持っていると教えてやればいい。買えねぇ男は指くわえて見てるしか出来ない事に誇りを持ちやがれ」

「あ・・・」

更に着物を肩から掛けて袖(そで)や胸元を重ねて衿(えり)を整えると、縫い留めた糸を解いて衿(えり)を作って胸の下で更に止める。

「帯枕(おびまくら)」

「お、帯枕(おびまくら)なん・・・、何に使うんでありんすか。わっちはこれから道中でありんす。お太鼓なん結びやせん」

「お前の胸を支えるんだよ。帯と一緒に枕で、持ち上げる、とっ。ほらよ綺麗な谷間が出来るだろうが」

「あの、後ろはどうなっているんでありんしょうか?」

流石道中を張る女だ。どの方向から見られても恥ずかしくない様に、後姿まで気に掛けるとは中々に気が利く。

着付け師のババアに大きな鏡を持たせて、牡丹の手に手鏡を握らせてやる。

「え? あの」

手の向きを変えて手鏡の方を見る様に伝えると、己の後姿を圧倒されたように眺める。

「衿(えり)を大きく抜いたんでな、衣紋(えもん)が普通より大きく膨らんでるが、それも丸みが出るようにした」

豪華な大柄の模様がなるべく多く見えるように肩から仕掛けを掛けてやる。

「すごい・・・」

「そこのババァ、着せ方覚えたか」

着付け師も驚きを隠せない様に唖然とした顔でこくこくと頷く。

「一丁上がり。じゃな」

用は済んだ。ここはさっさと立ち去るか。

 

「あの! お名前を!」

廊下を歩いて立ち去る男の後ろ姿に向かって声を掛けるが、男は振り向きもせず

「その内判るだろうよ」

そう言って立ち去ってしまいんした。

道中が控えているわっちは追い掛ける訳にも行かず、呆然と立ち尽くすしか出来んせんかった。

 

その日の道中は言わずもがな大盛況で、揚屋に辿り着いてからも各々の部屋から男達がこぞってわっちを見る有様。

今日この日、同じ揚屋で座敷を持っていた花魁を、沢山の敵に回した事だけは確かでござんした。

卑猥だの淫売だの下品だの、花魁達はこぞって悪態をつくが、わっちはこの着付けを好いておりんす。

悪態の通りわっちは淫売じゃ、そしておんしらもわっちと同じ淫売じゃ。

陰口の通り卑猥な着付けじゃ、貧相な身体じゃあ見せる事も出来んせんなぁ。

下品、結構毛だらけ。産まれからして上品に産まれついた覚えなどありんせん。

だが、見てみなんし? 卑猥で下品な淫売が町を歩けば男達の視線を縫い留めておりんす。

どの男もわっちの体を舐めるように見、そして金のある男はわっちを手に入れようとしんす。

この豊満な胸の間に小判を挟みたがりんす。おんしらには逆立ちしても出来ん芸当でありんす。

 

ふと、この着付けをやった男の存在を思い出しんした。

あれよりしばらく見掛けん。

ただの素見(ひやかし)かと思えばいったい何者だったのでありんしょうか。

気になる、とはいえ幕府公認若山遊郭、女郎二千人のこの町で一人の男を探した所で見付かりんせん。

わっちは一つ溜息をついて、手元の差し紙に目を落としんした。

『松川屋 惣一郎』

松川屋と言えば呉服老舗中の老舗。相当な大店(おおだな)だと聞いている。そこの旦那が今更? 遊郭に敵娼(あいかた)くらいいてもよさそうなものでありんすが。

とはいえ、上客。どこの敵娼(あいかた)から奪う事になったのやら知りもせんが、受けんしょう。

 

揚屋にて少々遅れて到着したわっちを迎えた男を見てしばし、放心しんした。

「よぉ、久し振りだな。元気だったか」

あの失礼な癖に、着付けに素晴らしい腕をもつ男でありんした。

絵巻物より何より奇怪な出会い。それがわっちと惣一郎様の出会いでありんした。