花魁道中いろは唄~朗読台本~ 『宵の怱忙』 / 白鷹

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所要時間:25分程度
利用規約をお読みいただきご利用下さい。

2019/3/2 利用規約を改訂しました。必ず読んでから上演をお願いいたします。

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東海道宿場町近くにある幕府公認若山遊郭。
中引けの時間を過ぎた頃、仲ノ町の茶屋も楼閣も暖簾(のれん)を下げて、店じまいをする。

二階の廊下全部の行燈に油を刺し終えた俺は、夜の仕事に紛れて逃げ出す女郎がいないか、監視を兼ねて回廊を見回した。
だがそこにはいつもと変わらぬ光景が広がるだけだ。
女郎達の部屋から、様々な手管と話術をもって男を虜にする声が聞こえる。

「旦那さん、浮気は許しゃせんのえ?」
「浮気なぞするものか、ワシはぬし一筋じゃあ」
「嬉しい・・・」

 

回廊を進むと既に床入りをしているであろう声も聞こえる。すすり泣く様な、切ない吐息の様な、か細いそれらに、男達は金を積む。
ここ、華屋の造りは奥に行けば奥に行くほど、高級な遊女の部屋となる。
二階の最奥は、若山一の稼ぎを誇る華屋お職牡丹花魁の部屋だ。
彼女の部屋では未だ派手な客が金を振りまきながら宴会を楽しんでいるのであろう。
三味や歌、新造(しんぞ)や禿(かむろ)の嬌声(きょうせい)や内芸と太鼓持ちの愉快な声が賑やかに響いている。宴(えん)も酣(たけなわ)、牡丹花魁が主賓と共に床入りするまでそれ程時間も掛からないだろう。
牡丹花魁の部屋の前には既に彼女のお付きの若衆が襖(ふすま)から中の様子を窺(うかが)い、目を光らせていた。
女郎を監視する事も俺達の役目だが、客が無茶な暴行を働いて見世の商品である女郎に傷を付けないかも合わせて監視しているのである。
華屋には正味十三位までの花魁がおり、その全てに専属の若衆が護衛に就いている。それだけ客が花魁に落とす金は膨大で花魁の格や質も高い。一人の花魁を失えば被害の大きさは想像の範疇を超えるだろう。見世にとって花魁は命に代えても守らねばならない絶対の商品なのだ。
俺は、牡丹花魁の部屋から一つ手前の部屋に視線を移して部屋の前に身をひそめた。
頂点花魁一つ手前、それは次代お職に就く花魁、椿の部屋だ。
行水でもない限り、お茶を挽く事など滅多にない椿の部屋には早々に客が登楼っていた。
今はまだ琴の音が響いている。
一寸ほど開いた襖から垣間見える光景。
今日は、派手な宴会などは開かれていないようだった。
客は未だ琴を愛でながら酒をあおっていた。

「相変わらず椿の琴の音は素晴らしいのぉ」

 

その客は少し前まで京の島原で座敷を開いていたそうだが、最近になって尾張の宿場に店を持ったらしく大層な金を積んで頻繁に椿の元へ通っているらしい。
壮年の男の体にもその表情にも締まりはない。およそ幾つも店を掛け持ちする様な手腕の持ち主とは思えないが、人とは見掛けに寄らないものである。
既に大分酔っているだろう客は、月明かりと行燈の明かりに照らされる椿を下衆な視線で舐め回す様に眺める。
椿はつい先日十七になったばかりだが、元々の素質と姐女郎牡丹花魁の仕込みがとても良かったせいで客の人気はうなぎのぼりだ。
若く初々しい仕草の中に愛らしさとしなやかさを持ち、露を含んだ花の様な瑞々しい色香で男を惑わせる、そう言って妓夫(ぎゆう)は客を引いて来るらしい。
不意に男は杯を置くと琴を爪弾く椿の手を取った。

「・・・、旦那さん、離してくんなんし。琴が弾けないじゃござんせんか」

 

そう、軽く笑いながら男の手から自分のそれを引き抜こうとする。
だが、下卑た笑いを浮かべた男は力任せに椿の手を引き、自らの体で組み敷いた。

「あ・・・、乱暴は・・・、せんでくんなんし」

 

畳に倒れこんだ椿の瞳はしばらく虚空を彷徨っていたが、不意に廊下に控える俺を捕えた。
大きな潤んだ瞳が見開かれる。
護衛として俺が廊下に居る事は知っていた筈だが、今まで客の相手をしている時に目が合う事は無かった。
それは、俺自身が椿の護衛にあたる任を受けながら目を逸らして来たからに相違ない。
そうなる事が判っていたからこそ楼主(おやかた)に辞退を申し出たのだが、逆にそれ程想いが強いのなら命懸けで守るだろうと却下されてしまったのだ。楼主(おやかた)の捻くれたその考え方は腹立たしい限りだが判断は正しい。
客が暴漢に変貌したのならば容赦しないだろうから。
客に蹂躙されるままの椿から目を逸らした方が良かったのかもしれない。だが、見えない糸で縫い留められてしまったように体が動かない。椿を凌辱する獣に強い殺意を覚えながら、握りしめた拳の内側に爪が食い込んでいる。生ぬるい感触は食い込んだ爪が皮膚を傷付けたのだろう。おそらく血が滲んでいる。
荒い息を吐く巨体に組み敷かれた細い体は抵抗する術を持たず、椿は紅を引いた赤い唇を噛み締めた。
無骨な男の手が椿の着物の帯を引いて解き、合わせを乱暴に開く。

「見ないで・・・」

 

小さくそう呟いたのは、俺に対してなのか客に対してなのか。
肌襦袢をも開かれて椿の小ぶりな胸があらわになる。
男は興奮のあまり息遣いも荒く、乱暴に胸を揉みしだき椿は苦痛に呻き声を漏らした。

「旦那さん・・・、此処では嫌でございんす、奥の床部屋に参りんしょう?」

 

それは椿の俺に対する気遣いだろう。奥の床部屋であれば姿は見えない。そして、声も遠ざかる。
客から逃げる術を持たない女郎の、ささやかな抵抗。
そして客との睦み合いを俺に見せまいとする椿の純粋な想い。
俺と椿は肌を重ねる事はなかったがお互いに心を通わせ、年季明けと共に祝言を挙げようと誓い合った仲でもあった。

「旦那さん、あちきだって恥じらいはございんすよ? こんな端近では、廊下に声が洩れてしまうではござんせんか。どんぞ奥の部屋へ」

 

震える鈴のような声で客にそういうが男はそれを聞き入れる事はなかった。

 

「どこであろうと良いではないか」

 

そう語気も荒く言い放つと椿の身体を舐めまわし始めた。
椿の表情が苦悶に歪む。顎を反り上げた椿の瞳が再度俺を捉える。
困惑した瞳がゆらゆらと揺れ、視線の先が定まらず徐々に潤み始める。
その様子を凝視していたが、俺はようやく殺気立つ心を抑える事に成功し、椿は何かを振り払うように潤んだ瞳を閉じる。
眉間にしわを寄せ、強く閉じた瞳のまつ毛が震えている。
だが、やがて客の椿の身体を弄ぶ舌に、手に、呼応するかのようにか細い声が吐息と共に漏れ始める。
俺はいたたまれなくなって目を逸らしたまま硬く目を閉じる。
喉の奥から漏れ出す声は甘く、とろけるように耳に心地よい。
鼻にかかったような甘える声。官能的なその声は脳の中枢を強く刺激する。
聞こえない様に耳を塞ぎたくもあり、反面もっと近くで聞けるのならとも思う。
いつまでも、目を逸らしている訳にもいかない。
客が、いつ椿に暴力的な仕打ちをするか判らないのだ。特に酔いが回った客は前後の見境が付かない。
今一度視線を戻すと椿は俺を見ていた。
熱の篭(こも)った瞳は妖しく蠱惑的(こわくてき)で、何度も繰り返されてきた光景だというのに心臓が早鐘(はやがね)を打ち始める。
吐息交じりの声、しかし客が椿の身体を蹂躙(じゅうりん)するごとに椿は無表情になって行く。
声だけは偽りのさえずりを紡ぐ。
今宵、いつもにも増して激しい客が椿に杭を打ち込む姿を、断腸の思いで見詰める俺に、椿はそっと笑顔をみせた。
何事が起ったのかと目を疑う俺がおかしかったのか、更に口元は皮肉に吊り上げる。
吐息の様な喘ぎ声はそのままに、ペロリと舌を出していたずらっ子そのままの表情で客の愛撫を受ける。
ここは遊郭。
女郎の惚れた腫れたは所詮一夜(ひとよ)の夢。
いちいち気を遣っていてはこの仕事は務まらない。故に客に甘い吐息を聴かせるのは演技でしかない。
が、これは、あまりに酷いのではないだろうか。表情と漏れ出す声が全く一致していないのだ。
だが、椿の身体に夢中になっている客は、そんな椿の様子には全く気付いていなかった。
およそ四半刻の間、椿の上で獣のように荒れ狂っていた男は乱れた息そのままにして椿の上で果てたらしい。
やがて男の方から不愉快で酷く耳障りないびきが鳴り始める。
正体を失くす程派手に酔っ払い、女にうつつを抜かして精を搾り取られた男はだらしなく緩んだ口元から涎(よだれ)を垂らす。端から見るととんでもなく無様だ。
華屋に来る客は選ばれた粋人(すいじん)と言われるが、この姿を見てを粋人(すいじん)と呼べるかと言われれば、否。お歯黒溝にそのまま沈めてやりたい位にはみっともない。
椿は客の涎(よだれ)を見るや

「うぇっ」

 

と小さな声を上げる。
たるんだ体躯をなんとか押しのけて襦袢の衿(えり)を合わせると、その場で寝込んでしまった客の腹と畳の間に爪先を滑り込ませ蹴飛ばして小さく鼻を鳴らす。
視線の先は男の顔に冷たく注がれている。まるで汚(けが)らわしいものでも見るかのように、そして今回の様な所業を働いた憎悪も含んで吐き出される言葉に温もりは感じられない。

 

「衿(えり)を開くなんて酷い男、嫌い」

 

少し、怒っているのか?
直した筈の衿(えり)に丁寧に手を差し込んで、潔癖(けっぺき)な程に整えると今一度男に視線を落とす。

 

「旦那さん?」

 

そう、小さく呼びかけるがいらえはない。もう一度軽く手を添えて呼び掛けて返事がないのを確認する。いびきをかく程に寝込んでいるのだから当然だろう。
椿は一つ溜息を洩らすと、寝込んだ客に掛布(かけふ)を一枚乱雑に掛けて、冷めてしまった燗(かん)を盃に傾け喉に流し込んだ。

「蓮太郎も飲む?」

 

襖の隙間から差し出された盃を俺は断る。

 

「俺は飲めない。知ってるだろう?」

 

そういうと、くすりと小さく笑い声が聞こえる。

 

「二年前にお酒飲んで目を回して以来だよね」

 

襖にもたれているのだろう、椿の声が近い。

 

「あれから全く飲んでないの?」
「あぁ、酒も煙草も懲り懲りだ。いい思いをした事がない」

 

俺も廊下側から襖にもたれて一仕事を終えた椿に付き合う事にした。
椿が突出しを終えて約二年。襖越しの距離はとても近いのに、気が付くととても遠くまで離れてしまった気がする。
不意に細い指先が廊下に付いた手に触れる。反射的に払ってハッとする。

 

「蓮太郎」
「いや、ごめん。けど他の二階回しに見付かったら厄介だ」

 

嘘だ。
もう既に俺と椿の想いなど見世に知れ渡っている。むしろ知らない方が珍しい。今更手を触れあったからと誰も何も言わない。同衾しなければ大抵の事は見逃されるだろう。それ程に俺も椿も楼主(おやかた)や女将の信頼を得てはいる。
受ける信頼とは裏腹な感情を俺自身が嫌悪しているのだ。
日を追う毎に美しく開花し続ける椿への淫靡(いんび)な想い。客の様に椿を蹂躙したいという考えがある事を酷く疎ましく感じる。
何より、人を殺すこの手で椿に触れていい筈がない。俺の手は既に血で血を洗う所業に塗れておぞましく穢れている。

 

「寝なくていいのか?」

 

手を振り払った瞬間から途切れてしまった言葉を取り繕うように聞く。なるべく不自然にならない様に。

 

「今寝たら返って辛いもの。このまま蓮太郎と話してたい」

 

今寝たら辛い、それはきっとどの女郎もそう思うのだろう。
上手に仮眠を取れるならば取った方がいいに決まっているが、なかなかそうはいかない。
客が寝込んだとしてもいつ目を覚ますか判らぬ状況で、女郎たちは仮眠を取ったとしても熟睡はしない。
明け方、客を送り出してからが短い睡眠時間なのだ。


卯(う)の刻(こく)少し前に客の出掛けの準備を手伝い、椿は玄関先までの見送りを終えた。
馴染みであったとしても、もっと金を落としていく客の多い椿にとって昨夜(ゆうべ)の客は、大門まで送るような間柄ではない。情に絆(ほだ)される様な事があれば客は付け上がる。
口先だけの後朝(きぬぎぬ)の別れを終えて、客を部屋から追い出した椿は、着物を脱ぎ落して襦袢になると、昨夜(ゆうべ)は使われなかった布団にもぐりこみ早々に寝息をたてて眠り始めたらしい。
椿の傍に仕える新造や禿も起きてから片付けるのだろう、各々が自分達の布団の引きずり出して寝始めた。

小鳥がさえずり、廊下にも日が差し込んで変化のない朝を告げる。

何事もなかった事に安堵すると、ふわりと欠伸が出る。
人を殺している癖に割と呑気な自分に自嘲めいた笑いが洩れる。昨夜(ゆうべ)こそ隠密の仕事がなかったとはいえ、常に舞い込んでくる可能性はあるのだ。
眠れるかどうかは判らないが、自身にあてがわれた部屋へと戻る。
この部屋は、椿・・・、りんが禿として牡丹花魁に奉公を始めるまで俺と一緒に使っていた部屋だ。
牡丹花魁の部屋に引っ越す際、綺麗に片付けて畳まで入れ替えたその部屋には既にりんの面影は残っていない。
一人寝の夜、悪夢に苛まれ浅い眠りを数度繰り返しただけで起きねばならない事もしばしばあるが、だからと言って眠らないでいられる筈もない。


若衆として仕事をしながら個人で部屋を貰えているのは楼主(おやかた)の愛情あってこそだが、おそらく他の若衆と共にいては何事かあった際に、隠密の仕事が露見するのを防ぐ為なのだろう。
布団と柳行李(やなぎごおり)しかない、眠る為だけの部屋だから行燈すら不要で置いていない。
むしろ、この部屋に戻る時は一日中働いて身も心も困憊(こんぱい)しきっている為、眠気に苛まれてむやみと行燈を倒しては火事になる恐れがあるのだから、置かない方がいい。

 

すっかり明るくなった部屋に布団を引いてもぐりこむと先程の心配事はどこへやら、心地よい眠気が訪れて簡単に意識を手放す。

 

いつになく、幸せな夢を見たような気がした。